そうしている間に、年が明けた。 春には政宗と秀宗が江戸へ出府し、代わりに忠宗が仙台へ下る。 それまで、三ヶ月ほどしかない。 「いかがしたものか」 雄藩の伊達家から持ち込まれた親子喧嘩に、幕閣の面々は渋い顔を隠さなかった。 特に土井利勝と井伊直孝はそれぞれ、 「あれほど仲良ういたせと言うたに」 と、血気のある井伊なんぞは腹立たしかったのか、脇息を蹴飛ばして襖を芯まで割ったほどであった。 「腕をこまぬいていても始まりますまい」 という阿部忠秋の意見もあり、ほどなく話し合う場が設けられた。