何度か尋問はあった。 が。 「志摩どのや采女どのには足労であったが、宇和島の家中の話ゆえ、仙台には一切の関わりなきことにて、どうかお引き取り願わしゅう」 というような秀宗の答えを持ち帰るより他なかった。 これには、 「その方ら、おさな児の使いでもあるまいし、それで役儀を果たしたとでも思っておるのか!」 と叱責を受け、二人とも謹慎を命ぜられた。