ところでである。 宇和島では清兵衛が粛清されたことにより、一時期は荒れていた家中が再び結束を取り戻しつつあった。 石垣の修復はほぼ直りつつある。 町割りも、清兵衛の屋敷は取り壊されて、更地には小さな稲荷の祠だけが残った。 町衆たちはその祠を、 「清兵衛稲荷」 と呼んで、毎日水をかえたり油揚を供えたりしている。