とにかくも江戸表には知らせねばなりませぬ、という見識では一致し、 「志摩を呼べ」 と呼び出されたのは、古内志摩という家臣であった。 もともと古内も譜代ではないが、仕事ぶりの手堅さを買われ抜擢されている。 「宇和島の山家の件、しかと調べて参れ」 「ははっ」 古内志摩が仙台を発ったのはこの日の昼過ぎで、十日ほどして江戸に着いた。