斯くして。 華々しく国入りを果たすと、すぐさま総登城の触が出され太鼓が鳴った。 軽輩から家老、山家清兵衛や桜田、小簗川など、上下なく重役まで書院に集められた席で、 「公儀より城の石垣の進み具合を問われた」 と秀宗は言った。 「西に島津、北には毛利とわが宇和島は守りの要である」 しかるに、と秀宗は言う。 「いまだ石垣の修理は進んでおらぬ、との言上を申し上げたところ、井伊掃部頭さまより、公儀への忠義をないがしろにする振る舞いは許されぬとのお言葉をうけたまわった」 と言った。