そのため。 秀宗と井伊の連名の書状は、宇和島では絶大な力を持つものとして受け止められた。 そこには、 「とにかく出府の際には騒ぐな、国入りしたさいに清兵衛の処断は決める」 といったような内容であり、これが家中に披瀝された瞬間、 「つまり井伊さまに山家の処断は話を通してある」 といった曲解で桜田玄蕃に伝わったことを意味した。