そうした怒りの先頭に立ったのが、桜田玄蕃であった。 「われらは御家のため、殿のために、騒ぎを起こしてはかえって御家のためにならぬと耐えてまいった」 それが。 山家清兵衛が仙台の威をかさにきて無用のいさかいを引き起こそうとすれば、売られた喧嘩は買うのが武家の意地であるとばかりに、桜田屋敷に多数の武者たちが集まり始めた。