が。 この修復の普請に待ったをかけたのが山家清兵衛である。 「まずは町割りを決めて、民の暮らしを先に安んじめることが肝要にぞんじますが」 といった。 そこは確かに一理ある話で、民が疲弊しては年貢も、運上金も取れない。 しかし。 もう修復は公儀の許可もある。 「公儀の許可をないがしろになされるおつもりか!」 と憤ったのは、家臣団の筆頭を外された桜田玄蕃であった。 「山家どのは仙台からの六万両がそれほどまでに大事か」 などと、桜田は言うに任せて怒鳴ったこともあった。