それまで宇和島を治めていたのは藤堂家で、とりわけ当主の藤堂高虎は親分肌というか豪気な面があって、 「そうか、よそで取り立ててもらえぬならうちで仕官いたせ」 などといって働かせ、実際よく功を樹(た)てると、 「そなたに褒美をとらそう」 といい気前よく褒賞を取らせる。 その気風もあって、藤堂家で治めていた頃は城下もどことなく明るかったが、今は違う。 「殿様が変わると、町はかくも変わるものか」 というのが、偽らざるところでもあったらしい。