さて。 話を宇和島の秀宗に戻す。 山家清兵衛はむしろありのまま、 「確かにそれがしは青葉の殿──実際にはそうやって呼んでいたらしい──から命を受けましたが、それは若様、親心と申すものにございましょう」 と答えた。 確かに現代であれば政宗の立場なら、離れた場に暮らす我が子を案じるのは当たり前かもわからない。