ともあれ。 秀宗の幼少期はほとんど、人質としての暮らしぶりが大部分であったとも言える。 伊達家ではあまり厚遇されていなかった秀宗だが、 「龍の子には赤鬼の娘がよかろう」 という家康の肝煎りで、井伊直孝の妹を妻に迎えた。 決して冷遇ではない。