相談の中身は実に多岐で、秀吉や家康の昔がたりから政務、さらには手紙の書き方や和歌の添削まで幅広かった。

その中でも特に、

「伊達のおやじどのは昔、母に疎まれたと聞いておるが、いかにしてそれをこなしたのか」

といったような、親子の関係にまつわることを訊かれることがかなりあったようで、

「それがしは母に毒を盛られたことがあり申したが、それは母の慈悲の裏返しのようなもので」

と、家光に諭したとされている。