ゆっくり間をおいて、ページをめくる音が響く。
静かな喫茶店にただ一人、カウンター席で。
甘い香りの漂う珈琲に手をつける。
匂いは甘いのに、飲み込むとほろ苦く、しかし苦すぎるわけでもなく、それは冷えきった体を中から暖めてゆく。
背にしている窓からは、赤々としたもみじが顔を出していた。

「おかわりいかがですか?」

「いただきます」

「ずいぶん分厚い本を読むんだね」

眼鏡とベレーボーをかけた、くりんくりんの癖毛とくしゃっとした笑顔が特徴の背の高い男の人。彼のつけている紅色のエプロンにはこのお店の名前、『もみじの喫茶店』が印刷されている。
ネームプレートには、店長の文字。ふりがなは、「マスター」。
私はしばらく、ポットからカップへと移る珈琲の音に耳をすましていた。
店長は、私が本を閉じたのを確認してから声をかけてくれた。そういう気遣いが、心地よい。

「はい、召し上がれ」

「いただきます」

この喫茶店に通うようになってから、もう一月がたった。それも、皆勤賞。私の日課は、ここで寄り道をしてから家に帰ることだ。
初めて『もみじの喫茶店』を訪れたとき、その独特の雰囲気と、暖かみのある店内に心奪われた。
寒くて寒くて凍えてしまいそうだったその日、店長の淹れてくれた珈琲と店長の笑顔は、私の凍った心を、意図も簡単にとかしたのだ。

「美味しいです」

「ありがとう」

「あの……」

意を決して顔をあげたとき、お店のドアにつけられた鐘がなった。
優しい笑顔の、おばさまが二人。この二人は、いつも決まった時間にここに来る。私と同じ、常連さん。
すっかり日も低くなり、窓からは、夕日の光がさしている。もうこんな時間。

「ごちそうさまでした」

普通は焦らなくてはいけないのだが、珈琲を飲むのだけは、急ぎたくない。ゆっくりと飲み干してから、そそくさとお会計をして、立ち去る。

「またきます」

「お待ちしております」

店長の笑顔を見ながら扉を開ける。
あの質問は、またお預けだなぁと思いながら、外に出た。外は、まだ少し肌寒かった。