最初に話したのは、私が生まれたときの事。

目が大きくて、泣き声も大きい赤ちゃんだったよと、お母さんは言った。

じいちゃんもばあちゃんも、琢磨叔父さんも、私を異常な程可愛がってくれた…それは何となくだけど記憶にある。

私がまだ生後4ヶ月の時、お父さんとお母さんの離婚が成立した。

それから亡くなるまでの3年、お母さんはただ働いた。

昼は介護施設でへルパーをして、平日の夜は居酒屋で働き、週末は飲み屋でホステスをして…私を育ててくれたのだと。

「お母さん、体、よく壊さなかったね。」