第九話 正義の在り方

「ーーー彩七!!!!」

聞き覚えのある声がした

そして次に目を開くと…凛翔が目の前で蹲っていた

「けほっ…かはっ…!」

後ろから思い切り蹴られたのだろう

口からは吐血をしていた

「…っ、かはっ……はぁ…」

彩七も朦朧とする意識の中、凛翔の手が離れた首元を抑え、必死に息をする

「…彩七、大丈夫か」

零が彩七の側へと駆け寄り、彩七を抱き上げる

「…あんた、こいつの兄貴なのにこんな事して何とも思わねーのかよ」

零がいまだ蹲る凛翔を見下ろす

「…はぁ…はぁっ……なに、妹…?

…ははっ、そりゃ、思うことは…あるけどさ…」

凛翔は最後の足掻きと言わんばかりに零を睨みつける

「…そいつはうちの“駒”だ

他所様と繋がるだけの駒に過ぎない
だから一人でも欠けることはー」

凛翔が言い切る前に、零は凛翔の腹に渾身の蹴りを入れた

「がは…っ…!!」

「…兄貴失格だよ、あんた」

力なく横たわる凛翔に背を向け、零は倉庫を出た


「マスター!!!!」

数分後

零から連絡を受けた春奈が、倉庫へと辿り着く

凛翔は右腕を目の上に乗せ、悔しそうな顔をして横たわっていた

「マスター、その怪我…!!」

零くん、ここまでしなくても…

春奈が心配になるほど重症だった凛翔

目の前でかなりの負傷をする凛翔に、持って来た応急処置バックを開く

「…春奈ぁ」

凛翔が投げやりな様子で口を開く

「…俺、悪い兄貴?」

「…え?」

「…家を守るために、っていうか
自分を守るためかもしれねーけどさ…

意地でも妹を連れ戻そうとした俺は、悪い兄貴かな」

まともに武術も受けてない凛翔

零に立ち向いたって、その差は歴然だった

「何か、あいつ家にいた時より生き生きしててさ

…それがなんか、悔しかった」

凛翔もまた、愛を知らない一人だった

「…俺たち間違ってたのかなぁ」

あーあと春奈に背を向ける凛翔

「まあ、間違えてたって今更過去を振り返ったりはしないけどさ」

そう言ってケロッと起き上がる

「ちょ…マスター、傷の手当てを!」

「ああ、いいよ。

彼も僕が誰だか分かって蹴ったみたいだしね」

零の去った方へと目を向ける

「…色恋沙汰に紛れて逃げようったって、そうはいかないからな。彩七」

腹を抑え、凛翔は壁を伝って倉庫を後にした

「マスター…」

ぼろぼろの凛翔の姿が見えなくなるまで、ドアの方を春奈は見つめ続けた

「…もしもし?ええ、私」

凛翔が完全に見えなくなった頃

春奈は一つの決心をした


その電話の相手とは…


その頃の零と彩七はと言うと

「…零さん、もう大丈夫ですって!」

風のように駆け抜ける零は、彩七を抱き上げたまま走っていた

「んな事言ったって、この状態じゃ公演どころじゃないだろ!」

焦る零は珍しく、彩七も黙ってしまう

「…お前が今日、俺を呼んでくれて良かった」

「…え?」

「お前のこと守るって俺言ったのに…守れなきゃ、約束した意味ねーからな」

「零さ…」

彩七の胸がじーんと熱くなった時

応急処置室の札が見えた

「取り敢えず、あそこに入るぞ」

扉を開けると、部屋には誰もいなかった

「勝手に使うのは気が引けるけど…まあ、応急処置なんだ
ありがたく使わせてもらおう

…ほら、見せてみろ」

そう言って彩七を近くにあったパイプ椅子に座らせ、腕を引いた

「…結構赤くなってるな
氷嚢作るから待ってろ」

そう言うと、零は手際よく氷嚢の準備にかかった

「…すごい。手際良いですね、零さん」

「部下がよく怪我して帰ってくるんだ

うちにも医療チームはいるけど…どうもあてにならなくてな」

そう言って彩七の腕に氷嚢を乗せる

「しばらくはこれで冷やしておけ」

「あ、ありがとうございます!」

開演まであと三十分

舞桜楽氏に連絡を入れた彩七はスタッフに衣装とマスクを持ってきてもらうように伝え、それまでここで待つことになった

「…」

「…」

「……」

「……」

やばい、気まずい……

お互いにどちらから話しかけるわけでもなく、ただただ沈黙が流れた

「…あの、零さん」

「?なんだ」

たまらず彩七は、おずおずと切り出す

「…えっと…その……すごい言いにくいんですけど…」

「…?」

「…奥のベッドから毛布、取ってもらえませんか

さっき、凛翔兄に服だめにされちゃって…」

ここまで言った彩七を改めて見ると、確かに見れる状態では無かった

「…っ、!!は?!?!!」

何故ここまで気が付かなかったのか、零もかなり動揺したようで…

「わ、わわかった!!ちょっと待ってろ!」

かあぁぁっと赤くなる顔を抑え、なるべく彩七を見ないようにスッと差し出す

「…ほら、早く」

「すみません…」

零から毛布を受け取った彩七は急いでそれを羽織る

「っていうかお前…その格好じゃスタッフ来ても出れないだろ」

…確かに。

「ったく…ほら。俺の貸してやるから、これ着とけ」

そう言って、零は自分が来ていたジャケットを彩七に被せる

「あ…ありがとうございます」

「…おう」

それからしばらくしてスタッフが来室し、零が衣装等を受け取った

「それじゃ俺終わるまでこっち向いてるから、早く準備しろ」

「…っ、はい!」

彩七はベッドについたカーテンの裏に周り、急いで着替える

「…このマスク、衣装の一部か?」

零がそれを待つ間、机の上に置かれたマスクを手に取る

「あ、そうなんです!特注なんですよ、それ。

職人さんが一つ一つ手作りされてるそうで…」

「これ、手作り?」

「はい!私も一度、亭主さんに会いに行ったことがあって…」

話が盛り上がる中、ひょこっとカーテン越しに顔を出してしまった彩七

「…っ、おま…っ!」

「へ?…っ、あぁ?!すみません!」

思わずぱーっとカーテンの裏に隠れる


…っ、!

咄嗟の出来事で、彩七の心臓はバクバクだった

私なにしてるんだろう…

まだ着替え終わってないのに!!

初歩的なミスにとほほ…と苦笑い

するとカーテンのすぐ向こうで、すぐ近くで声がした

「…おい」

「ひぃ?!」

彩七が小さく悲鳴をあげた途端、カーテンが放たれて力強い腕に後ろから包まれる

「…あんま、ドキドキさせんな」

「…へ?」

彩七の髪に顔をうずめる零

「…俺の心臓の音、聞こえるだろ」

「…はい」

バクバクと早い零の鼓動は

背中を伝って、彩七の元へと届いた

「…くらくらする」

「え、大丈夫ですか?!」

彩七がぐるんと振り返る

「…っ、だから…っ!!」

「あ…っ、!ふあっ?!」

思い切り彩七を自分の胸へと引き寄せる零

「…俺だって男だぞ」

真っ赤になった彼の顔は、どうしようもないほど愛おしかった

「…邪魔して悪かった
早く着替えて準備しろ。待ってる人がいるんだろ」

…あ、そうだった!

カーテンを閉めた零が元の位置に戻ると、彩七も慌てて身支度を整えた


「…へぇ、似合うじゃん」

黒を基調とした蝶のような彩七のドレスは

あのマスクやバイオリンの深紅がよく映える、美しいものだった

おかしい所が無いかくるくる回って確認する彩七

零は小さく笑い、そんな彩七に手を差し出した

「…行くぞ」

「はいっ!」

零の手に引かれ、彩七は舞台へと向かった


拍手喝采の中、公演はもうすぐフィナーレを迎える頃だった

「彩七さん!」

マスクをつけた多岐が舞台袖に到着した彩七に駆け寄る

「ドレスもマスクも、とってもお似合いです!」

「多岐さんもすごい似合う!

…っていうか、私と色違いじゃない?!」

彩七が嬉しそうにいう

多岐は真っ赤な深紅のドレスにあのマスクと漆黒のバイオリンを持っていて

二人並ぶと、お互いがお互いを引き立てるようになっていた

「私、少し後ろめたさがあったんです

だけど先生のためにも、この公演絶対成功させようって毎日何時間も練習してきたんです」

多岐がギュッとバイオリンを抱きしめる

「彩七さん、頑張りましょう!」

「…よろしくね!」

多岐と彩七が手を取り合い、舞台へと上がった

「さあ皆さん!ここまでお付き合いくださり誠にありがとうございます!

本日のフィナーレは私の教え子たちによるスペシャルステージです!
どうぞ最後まで、心ゆくまでご堪能下さい!」

舞桜楽氏の掛け声と共に、二人は拍手喝采の中舞台に登場した

実は二人は一度も一緒にリハーサルをしていない

それなのに、驚くほど息があっていた彩七と多岐

時々お互いを見合っては微笑みあい、またある時は競うようにその戦慄を会場中に響きわたらせ…

二人のバイオニストが奏でる音色は、他の誰をも唸らせる

そんな素敵な音色だった

「…やっぱり、綺麗だ」

舞台袖で彩七の輝く姿を見ていた零

目を細め、愛おしそうに彩七を見つめる零を

遠くから見ていたのは…

「…」

春奈だった

零は彩七に夢中で、気付くことが出来ないまま…