半月前、評論家の講演を聞こうと市民会館のロビ-を歩いていたら、前方の壁に弘美がもたれていた。隆は胸をときめかして近づいて行った。弘美は隆に気づくと、まるで母親に駆け寄る幼女のように肩を揺らして駆けてきた。あと一歩でぶつかるところで、両足を揃えて止まり、潤んだ目をして言った。
「独り」
隆が頷くと、
「私も独りなの。誰か来ないかな、と思っていたとこよ」
語尾に思いを込めた抑揚をつけて囁き、じっと隆の目を見て言った。
「私は、知らない人の中で、独りでいると淋しくなるの」
弘美の瞳は美しく輝いていた。
隆は高鳴る動悸を隠し、並んで歩き会場の椅子席に座った。
講演を聞いてから喫茶店行った。
隆は評論家の言葉尻を捉え反論を捲くし立てた。弘美は両手で顎を支え、上目づかいに隆を見上げ、くるくると瞳を動かしていた。
「ほんとうの文学は技巧や感覚じゃない。魂を揺り動かし、存在の根底に問いかけるものだ」
「書かなければ生きていけないところまで自分を追いつめた叫びが、文学なのだ」
「いかに生きるかが問題なのだ。安易な妥協を拒否し、絶えざる自己変革の中から一遍の詩がうまれるのだ」
弘美は背もたれに身を投げかけ、横目で隆を見た。鼻翼が膨らみ、少し開いた唇が微かに揺らいだ。弘美は、こんな話ではなく、楽しい話題を求めているのが分かったが、誠は意固地に気障な文学論を続けた。
弘美は物憂げに視線をはずして大きな吐息を漏らしてから言った。
「いいわね。そう言うふうに自分を語れる人は。羨ましいわ。私は駄目なの」
訴える視線で見つめてきた。それが何であるのか、隆には分からなかった。弘美の瞳の中に、はっとするほどに暗いひかりが漂った。
「私は歪んでいるのよ。あなたのように素直に自分を表わせないのよ」
「自分で自分を歪めているだけじゃないか」
「そうじゃないのよ。私は駄目なの」
弘美の瞳はますます暗く沈んでいった。
それは彼女の深いところに巣くう悲しみであるのは分かったが、それが、何なのか、隆には分からなかった。
「独り」
隆が頷くと、
「私も独りなの。誰か来ないかな、と思っていたとこよ」
語尾に思いを込めた抑揚をつけて囁き、じっと隆の目を見て言った。
「私は、知らない人の中で、独りでいると淋しくなるの」
弘美の瞳は美しく輝いていた。
隆は高鳴る動悸を隠し、並んで歩き会場の椅子席に座った。
講演を聞いてから喫茶店行った。
隆は評論家の言葉尻を捉え反論を捲くし立てた。弘美は両手で顎を支え、上目づかいに隆を見上げ、くるくると瞳を動かしていた。
「ほんとうの文学は技巧や感覚じゃない。魂を揺り動かし、存在の根底に問いかけるものだ」
「書かなければ生きていけないところまで自分を追いつめた叫びが、文学なのだ」
「いかに生きるかが問題なのだ。安易な妥協を拒否し、絶えざる自己変革の中から一遍の詩がうまれるのだ」
弘美は背もたれに身を投げかけ、横目で隆を見た。鼻翼が膨らみ、少し開いた唇が微かに揺らいだ。弘美は、こんな話ではなく、楽しい話題を求めているのが分かったが、誠は意固地に気障な文学論を続けた。
弘美は物憂げに視線をはずして大きな吐息を漏らしてから言った。
「いいわね。そう言うふうに自分を語れる人は。羨ましいわ。私は駄目なの」
訴える視線で見つめてきた。それが何であるのか、隆には分からなかった。弘美の瞳の中に、はっとするほどに暗いひかりが漂った。
「私は歪んでいるのよ。あなたのように素直に自分を表わせないのよ」
「自分で自分を歪めているだけじゃないか」
「そうじゃないのよ。私は駄目なの」
弘美の瞳はますます暗く沈んでいった。
それは彼女の深いところに巣くう悲しみであるのは分かったが、それが、何なのか、隆には分からなかった。

