今年こそ、ちゃんと夏の間に休暇を取って、水辺のリゾートに行きたい。
 二十代の肌の張りはなくなったかもしれないけれど、水着を着る。着倒す。よし、忘れないように後で手帳にメモしておこう。友達とは休みが合わない可能性が高いから、妹を誘うかな。でもちょうど彼氏ができたところだし、却下されるかも……。夏まで彼氏と続くかな。続くといいな。
 化粧品の販売員として横浜の商業施設で働く妹の真麻(まあさ)は、わたしと違って頻繁に恋人を替えるタイプだ。姉としては妹の行く末が気にかかるけれど、向こうは向こうで三十代になっても男の影のないわたしを過剰に心配している。
 電車が再び大きく揺れた。
 体重をかけてしまった隣の男性と目が合い、すみません、と目礼する。
 にらまれた。別に足を踏んだわけでもないのに。
 殺伐とした車内でロマンスが生まれる可能性なんてないだろうけれど、あからさまに敵意を向けられるとげんなりする。
 スマホを鞄にしまい、髪をかき上げ、元の場所に戻した右手がふっと宙をかいた。
 わたしがつかまっていた吊革は、ほんの一瞬の隙に隣の男性に奪われていた。
 嘘でしょ。この吊革泥棒! さっきぶつかった仕返しってこと?
 吊革にも手すりにもつかまれない状態では、根無し草のように漂うしかない。
 一日の始まりがこれではあんまりだと思う。
 わたしは名前も知らない男に呪いをかけた。――駅を出た途端にガムを踏め。鳩の糞を浴びろ。会社のトイレを詰まらせて恥をかけ。ランチ売り切れろ。彼女に振られろ。

『……次は、新橋、新橋』

 悪口は他人に対して考えるだけでも、心をすさませる。自分の胸の中が黒く汚れてゆく。




 通勤だけで無駄に疲れた。
 なんか今日はよくないことが起こりそう。
 わたした勤める信真電機テクノロジーは、電機メーカーとして日本で十本の指に入る信真電機の子会社だ。自社ビルではなく、新橋のオフィスビルの一部を借りている。
 首都圏システム本部のある十三階でエレベーターを降りると、待ってました、とばかりに後輩の八木原瑠衣(やぎはら・るい)が寄ってきた。

「おはようございます。美月(みづき)さん、異動ですよ、異動。営業からの転身だそうです」
「うん、知ってる。おはよう」
「え、知ってたんですか。なーんだ」
「一応、課長から聞いてたから」