第八話 涙の理由

「詩音、待たせたね」

約束の一週間後、いつものバーに来ていた詩音にマシューが話しかける

「例の探してた子、見つかったらしい」

「そ、それ本当なの?!」

驚いて目を丸くする詩音

「いくら僕でも嘘はつかないよ。

…一番早いので明日の午後二時、空港から飛行機でここに向かうといい」

マシューから一枚の紙切れを渡される

「カリフォルニア…」

それは、カリフォルニアにあるとある住所だった

「彼は今、そこにいるらしい

…まあここからどうするかは、自分で決めな」

「…っ、マシュー!本当にありがとう…!」

用件を伝えて立ち去るマシューの後ろ姿に叫ぶ詩音

それに応えるかのようにマシューはひらひらと手を振った


「やっぱり瑠璃、カリフォルニアに居たのね…」

渡された紙切れを眺めながら、詩音の声のトーンが下がる

「…知っていたのかい?」

向かいのカウンターでカクテルを作っていたライアンが言う

「えぇ。…少し前からある掲示板を利用してて

そこに、瑠璃に似てる人がうちにいるってメールがあって…」

ことの経緯を、全てライアンに話した

「…それで、いつカリフォルニアに向かうんだい?」

「マシューが教えてくれた、一番早い便で向かうわ

…時間は限られてるの。早い所、連れて帰らなくちゃ」

そう意気込んで計画を立て始める詩音

「…本当、敵わないや」

小さくため息をつくライアン

「ん?なんか言った?」

「…なにも?」

いたずらっぽくライアンは笑う

「詩音、君カリフォルニアに行ったことはあるのかい?」

「え、無いけど…」

カウンターから身を乗り出すようにして問うライアンに戸惑う詩音

ライアンは、分かっていたとばかりに笑顔を見せる

「見知らぬ土地に一人で行くなんて危ないだろう?

…僕も同行しよう。カリフォルニア出身、と言えば心強いかな?」

詩音の表情がぱあぁっと明るくなる

「本当?!…ライアン、あなたには本当に感謝してもしきれないわ!」

ぱっと詩音がライアンに抱きつく

「店はしばらくマシューたちに任せよう
向こうへの案内は、任せてくれ」

目的地が決まり、詩音は準備をするといつもより早めに店を出た



詩音が出た後のことだった

「ねぇ、オーナー?」

「どうしたんだい、マシュー」

難しい顔をして食器洗いをするライアンに、マシューが話しかける


「…オーナー、詩音に惚れてるでしょ」


いたずらっ子のような視線をライアンに送る

「…わぁお。

冗談のつもりで言ったんだけど…どうやら嘘じゃないらしい」

ライアンの複雑そうな表情を見て、笑顔を見せる

「…詩音には?」

「…伝えてない。

というか、伝えるつもりもない」

「どうして?」

マシューが不思議そうに言う

「どうして、って…

詩音は、恐らく瑠璃に惚れている。
だから、それを僕が邪魔をしたくないんだ」

食器洗いが一段落すると、ライアンはマシューに向き直る

「…惚れた女だからこそ、彼女には一番幸せな道を歩んでもらいたい

それが僕の願いだ」

ライアンが優しく笑う

しかし目の前にいるマシューは不服とばかりにため息をつき、持っていたほうきに顎を乗せ、目を閉じる

「彼女の幸せは彼女が決める。
それはオーナーが決めることじゃない」

「…さあね」

小さく笑いながら、付けていた黒い腰エプロンを外す

「…本当にそう思ってる?」

「…どうしてそんな事を?」

「確かに詩音は瑠璃に惚れているんだと僕も思う
自分の仕事を投げてまで、はるばる海外まで探しに来るくらいだからね」

閉じていた目を開け、ライアンを見つめる

「でも僕なら、それほど愛してくれる女性を放って逃げたりなんかしない」

真っ直ぐに、ライアンの瞳を捉える

「気に入らないんだよ、瑠璃ってやつの事が。

失踪して何年も経つのに、家族でさえ諦めていたのに…」

ふう、とまたため息をつく


「詩音が可哀想だ」


マシューの瞳は、悲しげだった

「…それは、瑠璃への文句かい?」

黙って話を聞いていたライアンが口を開く

「ライアン、僕は君にも言いたい。

詩音は瑠璃が好きだから諦める?
それこそ、僕は間違っていると思う」

ビシッと人差し指をライアンに向ける

「恋愛はゲームなんかじゃない。

一度惚れたなら何処までも、何処までも追いかける
一生を賭けた、男の勝負だ」

いつになく真剣なマシュー

圧倒されつつも、ライアンが口を開く

「…友達以上には、なれたと思う

だけど…瑠璃が見つかったら、詩音は僕なんて見向きもしないだろう」

先程まで詩音が座っていた席に視線を移す

「それまでの間、僕が詩音の瞳に映っているうちだけは…努力しようと思ってる」

「ライアン…」

「言われなくても分かっているさ。

…マシュー、明日から暫く店のこと、頼んだよ」

「…任せてくれ」

マシューと拳をコツン、とぶつけ合い、笑顔になるライアン

「詩音は僕にとっても大切な人だ。

しっかり頼むぜ、ライアン」

マシューがとびきりの笑顔でライアンの背中を押した


「…いよいよだわ」

一足先にホテルに帰った詩音は震えていた

「…いざとなると緊張するなぁ」

詩音が瑠璃に会った最後の日

何一つ変わらない瑠璃を見て、不安もあったけど…

何一つ変わらない瑠璃を見て、安心した自分もいた

『詩音ちゃん!久しぶり!!』

相変わらず何処か抜けている瑠璃は、あの時もネクタイが曲がっていた

『あ…ご、ごめん!
実は寝坊しちゃって…!』

うだうだ言いながらも、瑠璃のネクタイ直してあげたっけ

『詩音ちゃん、お医者さんになれたの?!
夢、叶ったんだね!おめでとう!!』

それから、満面の笑顔で抱きしめてくれたっけ…

『じゃあ僕が病気したり怪我をしたら、真っ先に詩音ちゃんの所へ行けるね!』

あの笑顔が、就職してからもずっと詩音を支えてきた

「…瑠璃……」

…会いたいよ

「…る、り…」

早く会いたい

「…っ、瑠璃…っ!」

瑠璃、瑠璃…


長い間、会えなくてごめん

仕事を言い訳にして、実家にもなかなか帰れなかった


…いや、帰らなかったんだ。

連絡だって、就職してからはいつも瑠璃からだった

ご飯や地元の祭りに時々誘ってくれて…

だけど仕事を言い訳に、私はどれにも行けなかった

「ごめん…ごめんね…」

大粒の涙が力いっぱい握りしめた拳の上に落ちる

仕事が楽しかったのも事実だし

仕事が忙しかったのも事実

だけど

帰ろうと思えば帰れたタイミングはいくらでもあった

それでも私は、帰らなかった

「…一人立ちしようとしたのが、仇になったかな」

瑠璃は私がいなきゃ何も出来ない

そう思って、地元を私は離れた

…でも

「本当に一人立ちしなくちゃいけなかったのは…私の方だったのかも」

瑠璃がいたから、今の私がいて

瑠璃がいたから、今があって…

「散々待たせて、今更って思うかもしれないけど…」

夜空に浮かぶ、微かに見える星を窓の外から眺め、口にする

「…明日迎えに行くからね、瑠璃」

持っていたスマホの画面には、成人式に撮った満面の笑顔の瑠璃と詩音

…ねぇ、瑠璃。

もう一度だけ、あなたに会いたい。