第四話 瑠璃の憂鬱

あれから二年、

瑠璃の小柄な背は166cmまで伸び、声変わりもした

勿論、詩音とは毎日のように連絡をとっている

“今日は実験があるの!化学苦手だったのに、不安だよ〜(´・_・`)”

“今日こっちは晴れてるけど瑠璃の方、大雨マークになってた!大丈夫?”

“今日ね、瑠璃の好きそうなメニューが学食に追加されたの!また今度写真送るね!”

他愛のない会話ばかりだったけど…それが瑠璃の日課でもあり、楽しみだった

「おーい、瑠璃!」

同じクラスの島田が駆けてくる

「明日隣のクラスの前田が女の子呼んでカラオケに行くって言ってるんだけどさ〜お前行かね?」

「あー…悪いけど、今日用事あって」

「なんだ〜じゃあ、しょうがないな」

「ごめん。また誘って?」

島田は元来た方へと戻る

「…ごめん、島田。

僕賑やかな場所は得意じゃないんだ」

島田が去った方に、そっと呟いた


家の近くの高校を選んだとはいえ、それなりに充実していた瑠璃

だけど

やっぱりいつまで経っても、詩音が隣にいない環境には慣れなかった

初めの頃は本当に苦戦した

寝坊は今でもしょっちゅうするし

忘れ物だってしてしまう

そんな時

いつも隣の席で、『しょうがないなぁ』って笑いながら教科書を半分見せてくれた詩音を思い出す

「…本当、詩音ちゃん離れが出来ないな」

俯いた瑠璃の呟きは真夏の蝉の声にかき消された


「そういえば瑠璃〜、あなた進路はどうするの?」

夏休みに入り、珍しく母親の七海(ななみ)が朝から家に居た日

唐突に、進路の話が出た

「…僕まだ高校二年生なんだけど」

「もう高校二年生!…詩音ちゃんはお医者さんになるって専門学校に行ったんでしょう?

瑠璃もそろそろ決めなくちゃ!」

笑顔でコーヒーを飲みながらタブレット端末で新聞を読んでいる

「進路、ね…」

二年前にも、同じ言葉を何度も聞いた

「本当に、何もしたい事がないの?」

「うん」

「…あなた頭はあるんだから、視野は広く持った方がいいわよ?」

「学力だけじゃ、どうにもならないよ」

聞いているのか分からない目をしてテレビに視線を移す

『本日は一般的にあまり知られていない、この病気について特集を組んでいます!』

「…」

ミルクを沢山入れたカフェオレを飲みながらぼーっと眺める

『本日のメインはこちら!“性同一性障害”!

…こちらの病気、一般的にはあまり知られていないとの事ですが…どのような病気なのでしょうか?』

アナウンサーらしき女性が専門家の男性に問いかける

『性同一性障害、と聞くと皆さんはどんな事をまず思い浮かべるでしょうか?』

「性同一性障害……」

「あら、珍しいニュースしてるのね」

瑠璃の言葉に七海も顔を上げてテレビを観る

「…皮肉よね。
身体は男や女として生まれてきたのに、心の中では自分は女、もしくは男って思うの」

「…身体と心が、一致しないって事?」

うんうん、と七海が頷く

「私はあまり見たことないけど…きっと、すごく辛いと思う。この病気」

「…」

食い入るように、瑠璃もテレビの画面を見つめる

『周りの人にカミングアウトするのは、とても勇気がいることです

受け入れてもらえるのか、最悪、拒絶されてしまう場合もあるようで…』

「…どうして、カミングアウトしたら拒絶されるの」

目を伏せるように、瑠璃が呟く

「…認めたくない、っていうのかな
“普通じゃない”事に、嫌悪感を抱くのよ」

「…お母さんも、そう?」

何気なく聞いたつもりだった

「…」

「…お母さん?」

「…どうかなぁ」

何かを隠すように、誤魔化すように作り笑いを浮かべる

「私もフライトナースになって数年経つけど…一般的な臨床の場にいたキャリアは少なくて。

一人一人をまじまじと見たり傍に居た事が少ない分、難しいかな」

「…そっか」

「でも詩音ちゃん、本当にすごいわよ

医者なんて、なりたくてなれるわけじゃないからね」

再びタブレット端末に目を落とし、ページをめくる

「…僕は、詩音ちゃんみたいには…なれない」

テレビから目をそらすこと無く、瑠璃は言った

「みんなそれぞれ得意分野があって、苦手分野がある。
詩音ちゃんと同じになる必要なんて無いわ」

ふふっと笑いながら七海が言う

「…詩音ちゃんみたいに、なりたいの?」

「詩音ちゃんみたいに…?」

うん、と大きく頷く七海

「詩音ちゃんみたいにかっこよくて、頼りがいのある男の子になりたいかって話」

「…あぁ、そういう事」

ふい、と七海から顔を背ける

「…そうだね」

どこか気持ちが入っていないような、そんな声だった

「僕ちょっと出かけてくるね」

「あら、どこに行くの?」

「…ちょっとそこまで」

飲み差しのマグカップをテーブルに置き、テーブルに置いていたスマホを持って家を出た

「…っ、……」

家を出てエレベーターに乗った瑠璃

何故か心臓は、バクバクと打ち止まらない

「なん、で…っ…」

ギュッと胸のあたりを握りしめ、俯く

「僕は、違う…違うから…!」

先程のテレビの特集が、どうしても頭から離れない

「僕は、…僕は違う!!」

必死に頭を振って、先程の光景を忘れようとする

誰にも受け入れてもらえないなんて、そんなのあんまりだ!

「ぼく、は…ちが……」

ずるずると、壁にもたれるように座り込む

確かに昔から、全然男の子っぽくなかった

ギャーギャー騒ぎながら外を駆け回る他の男の子たちをみて、冷めた目をしたり

何方かと言えば、家で詩音とドールハウスで遊ぶ方が好きだったし

男の子特有のかっこいいものへの憧れより、女の子らしい可愛いものがすきだった

それに

女の子を見ても好きとかそういう感情なんて一切無かった

詩音は特別だったけど…
恋愛対象では無く、本当に大切な幼馴染み、だった

「…認めたくない、か」

誰にいうでもなく、口にする

「…一度、現実見た方がいいのかな」

瑠璃はその足で、ある場所へと向かった


「…診断結果ですが……」

目の前の医者が難しい顔をする

「…」

「…あなたは、“性同一性障害”と見てまず間違いないかと」

「っ、…!」

一番、聞きたくない言葉だった

「ですが…好意の対象が男性では無いという事から、はっきりとは言えません

なので、これからあなたがどうしたいのか、今後を考えた上でまた聞かせてください」

「…はい」

好意の対象…

瑠璃の心に、深く突き刺さった


とぼとぼと家路を帰りながらも、その表情はとても暗かった

空は日が暮れる頃で綺麗なオレンジ色をしていて

瑠璃の心を、一層暗くした


確かに中学生の頃、誰かに好意を持つことなんて一切無くて。

だけど、女子がかっこいいと騒いでいた滝沢くん…

彼のことは、目で追っていた時があった

でもそれは、あくまでも“憧れ”と思っていた

男子が男子に抱く、尊敬のような憧れ

それが好意だと、あの頃は微塵も思わなかった

「あれも…実はそうだったのかな」

今ならそう思える

「…詩音ちゃん、元気かな」

顔を上げた瑠璃はいつの間にか、昔詩音とよく遊んだ公園の前に差し掛かっていた


キィ…キィ……

ブランコに乗り、空を仰ぐ瑠璃

「…詩音ちゃんが知ったら、なんて言うだろう」

嫌がられる?気持ち悪がられる?

それとも…

「…やめよう。今考えても、答えなんて出そうにないし」

ぶんぶん頭を振って、かき消す

「そろそろ帰ろうかな」

キィ、とブランコから立ち上がろうとした時だった

「?!」

バッ!と後ろから目元を手で覆い隠され、目の前が真っ暗になる

「えっ、ちょ……」

突然の事で困惑する瑠璃

「まっ…誰?!」

慌ててその手を振り払うと…


「やっ!」


笑顔の詩音が、立っていた

「…っ、詩音ちゃん!!」

あまりに唐突な出来事で、驚きを隠せない

「夏休みだし、外出許可とって帰ってきちゃった☆」

いつもの笑顔で瑠璃に笑いかける詩音


先程のブランコに並んで座り、どちらともなく話し出す

「もー、本当大変でさ〜…
課題は多いし覚えること沢山だし…」

「でも何だかんだ、楽しそうだね」

「そうね〜校則も緩いから…ほら、この通り髪の毛染めちゃったし!」

いつもポニーテールをしていた長い真っ直ぐな黒髪は

緩くウエーブが入った栗色の髪になっていた

「瑠璃、ちょっと見ない間に背伸びた?」

「あ、分かる?…166になったんだ〜」

「うっそ!…中学の時は私と同じ158くらいだったのに…!」

「僕にも成長期がきたのかもね」

ふふっと笑って悔しがる詩音を見る

成長期、か…

何だか自爆した気分になるのを必死に堪える

「それで?なんで瑠璃こんな所に居たの?今日おばさん休みだったんでしょ?」

多恵から聞いたのか、一度先に家に帰った詩音は知っていたらしい

「あー…何だか外に出たい気分だったから」

詩音の方を向かずに、自分の足元に視線を落とす

「…恥ずかしかったのか!」

久しぶりの母親でどうしていいか分からない

きっと、詩音はそう思ったのだろう

「…そうかもね」

寂しそうに笑う瑠璃の心が、この時の詩音にはまだ分からなかった

「おばさん、また仕事に行っちゃったみたいだし…

瑠璃、今日うちでご飯食べていきなよ!お母さんもおいでって言ってたし!」

「…本当?」

「うん!聖も瑠璃に会いたがってると思うしさ♪

ほら、立って立って!」

詩音に手を引かれ、家路に戻る


「…詩音ちゃん!」

「んー?」

突然詩音を引き止めたものの…次の言葉が出てこない

「もー…どうしたの瑠璃?
なんだか今日、らしくないよ」

疲れてるの?と笑いながら詩音が振り向く

「…そう、かも」

「じゃあ美味しいご飯いっぱい食べて、元気出さなくちゃね!行こっ!」

再び詩音に手を引かれ、歩き出す


…今は、まだ言うべきじゃない

詩音が、これを聞いたらどうするだろう

ショックを受けるだろうか、

受け入れてくれるだろうか…

そのうち言おう、言おうとするうちに

気付けば僕達は大人になっていた