HARUKA~恋~

「阿部さ~ん。阿部遥奏さ~ん」


名前を呼ばれ、彼がスッと立ち上がった。

思わず私も立ち上がってしまったが、彼にキリッと睨まれた。


「蒼井さん、オレの保護者?」


ブンブン首を横に振って、自分の恥ずかしさを紛らわそうとすると、彼の右手が頭に乗った。


「ここでオレが脱走しないように見張ってて。よろしくね」








―――――もう、ダメだ…




血圧が跳ね上がり、座っていたにも関わらずフラフラした。

血液が全身をいつもの何倍もの猛スピードで駆け巡る。





何で…





何で…





何で、何で、何で…





遥奏くんを、こんなにも意識してしまうんだろう…





私は一度冷静になるために、トイレに駆け込み、顔をこれでもかと言うくらいまでゴシゴシ洗った。

掃除のおばさんが不審な目で見ていたけど、明らかに不自然な笑顔を振りまいて退散した。



はあ…



さっきより幾分血圧は安定していた。

そのせいでなんだか眠くなって来た。


待合室で待ってる間に少し寝よう。


そんなことを思いながら清潔感のあるピカピカの床を歩く。

私が通っていた頃とは似つかないほど綺麗に改装された。

あれから来年でちょうど10年になる。

目を背けていても確実に時は流れていた。


「イシザワさーん」


通り過ぎる時、誰かの名前が呼ばれた。



私の知らない誰か、私を知らない誰かが今日ここに来て、自分の病気と向き合うという、辛くて苦しくてやるせない作業を行っている。

中には末期癌で余命宣告をされる人も居るだろう。

自分の余命があと僅かだと知ったら私はどうするんだろう。
何を思うんだろう。


誰かに伝えるかな。

それとも誰にも話さず、秘密として死ぬまで隠しておくのかな。


私は…



 
「蒼井さん!」


急に肩を叩かれて驚き、膝がガクッとなって尻餅をついた。


「大丈夫?そんなに驚いた?」


遥奏くんが手を差し伸べてくれて、私はちょっと躊躇ったけど、その手を握りたくてぎゅっと握った。

よいしょと言って遥奏くんが私を起こしてくれた。


「たまにはこっちの側も良いな」

「えっ?」


意味が理解出来ずにキョトンとする私を見て彼はクスッと笑った。


「いつも朝起きれないから、母親がオレの手を思いっきり引っ張って、無理やり体を起こそうとするんだよ」


あっ…そういうことか。

納得の表情を見せた私を見て彼はまた笑う。


この、柔らかでちょっぴり無邪気で、花がぱっと開いた瞬間のような笑顔は、私の心のド真ん中を射る矢だ。

私はいつも射抜かれてしまう。

戦国時代だったら、きっと即死だ。


「診察終わって、あと薬貰うだけだから」

「うん、わかった」


私は自然と彼の右隣に並んで歩いた。