HARUKA~恋~

コンコン…。



今日もまた返事は無い。

昨日と同じように私は恐る恐るドアを開け、ゆっくりと彼のいるベッドの方に近づいて行った。

カーテンを開けると、今日もまた私に背を向け、規則正しい寝息を立てている。

まるで子猫を見るような穏やかな目で私は彼を見つめた。


「遥奏くん」


呼びかけているものの返事は無い。

彼の耳に届くかどうか定かでは無いが、とりあえず私は、彼に自分のことを知ってもらいたくて一方的に話し出した。


「あの…私、昨日も来たんですけど、蒼井晴香と言います。遥奏くんと同じ名前でなんだか申し訳ないです。因みに委員会も保健委員会で一緒なので、よろしくお願いしますね」


そこまで言って一旦小休止した。

あのことを言おうか言うまいか迷ったんだ。

変に思い出させて苦しめても可哀想だなと思う気持ちと、この際全部暴露して、少しでも胸の内を開かせるような人だなと思ってもらえたら…と思う気持ちが複雑に入り混じって、葛藤していたから。




私が沈黙していると、話を聞きたくないと言うように彼が毛布を頭まで被った。

無言のシャットダウンだった。



それを見て、私は決心した。


彼がシャットダウンするなら、私がこじ開けるしかない。

一度やると決めたのだから、何があっても絶対にやり遂げるんだ。

宙太くんとの約束を守るんだ。


「聞きたくないなら聞かなくても良いんだけど…。あのね、私…いじめられてたんだ」


そう言うと彼の体がピクリと動いた。


聞こえてると分かって若干顔の筋肉が萎縮する。

しかし、こんなことに怖じ気づいてはいられない。


彼にちゃんと伝えなきゃ。
言葉で伝えなきゃ、分かってくれない。




私は再び自分を奮い立たせ、口を開いた。


「遥奏くんに起こったこと、宙太くんに聞いたよ。なんて言うか…最低な先輩たちだよね。そんな先輩たちに何も言わないで後輩としての役目をきちんとこなしてたのはすごいことだと思う。私…尊敬する。私なら、できない。絶対、途中で挫折して、部活サボったり、学校休んだりしたと思う。でも、遥奏くんはしなかった。ちゃんと戦った。本当にすごいよ」

「…すごくなんてねえよ」


毛布にくるまった彼がぼそりと呟いた。


彼は自信を無くしてしまっているのかもしれない。

バスケが出来なくなって苦しいし、辛いし、現状と向き合うのが怖いのかもしれない。


だからこそ伝えたい。

遥奏くんに分かってもらいたい。

大切なことに気づいてもらいたい。




開いた窓から春風が入ってきて、薬品の匂いが充満する保健室に新鮮な空気を与える。



「遥奏くんの気持ち、私は100パーセント分からないし、この先どんなに仲良くなったとしても分かってあげられないと思う。いくらイジメにあってたからって完全に同じ気持ちじゃないと思うし…。だけど、これだけは信じてほしい」


私は大きく息を吸ってから、言った。


「遥奏くんを待ってる人がいる。
宙太くんも、私も待ってる。
私は宙太くんほどあなたを知らないし、面と向かって話したことも無い。
だけど、遥奏くんの力になりたいって本気で思っている。
…私は自分の不注意で、知らないうちに人を傷つけて、傷つけた人たちからいじめられたの。今思い出しても、正直イジメられたことは腑に落ちないし、イジメた人たちを完全に許してない。
でも、それでも良いと思ってる。折り合いを付けて生きていくしかないんだからって、自分にそう言い聞かせて生活してる。
ただ、そうやって生活してる中で、大切にしたいと思える人にはちゃんと向き合ってほしい。
私は…それが出来なかったなって、今反省してる。
遥奏くんはまだまだこれからだよ。だから、大切だと思える人だけは信じて、手を差し出してほしい。必ずその手を引いてくれる人はいるから」


言い終わって一気に力が抜けて、ベッドとベッドの隙間に挟まるようにしてしゃがみ込んだ。


自分のことを話すってこんなにも勇気がいるんだな…


言っている途中で気づくこともあった。


それは私が無視してきてしまったアイツのことだった。


彼のことは今日もまた黒く塗りつぶし、私は遥奏くんの方に向き直った。


「私、毎日来るから。保健室から出てくるまで毎日毎日来るから。宙太くんと約束したの。遥奏くんを絶対教室に戻すって。あと、今思い出したから、後で宙太くんにも言っておくね。
―――遥奏くんを絶対コートに戻す。
…じゃあ、今日はこの辺で。また明日」


保健室から出ると、ちょうど部活の休憩中だった宙太くんと会った。


「遥奏何かしゃべった?」

「特には」

「アイツ、シャイっつうか、クールなんだよな~。ちょっと、いや、かなり手がかかる男だけど、根気強く頼むわ」

「分かってるよ。遥奏くんを絶対コートに戻すんだから」

「なんだよ、それ」

「思いついたんだ。なかなか良い言葉じゃない?」

「そうだけど、アオハルって自慢するっけ?そんなヤツには見えなかったんだけどな…」


私達は夕日に照らされながら、しばらく笑っていた。


阿部遥奏という1人の男子が繋いだ縁…


その神秘さに今まで感じたことのない不思議な感情を抱いた。






春は新たな光と影を作り出していた。