「俺さえ頑張ればって、かっこつけたままでいたかったけど、今回は、さすがに結構きた。俺にだって気持ちがあるんだ。知らなかっただろ?」

その目が哀しく笑う。そして、すべてが消え去ったかのような空っぽの瞳が私に向けられた。

「おまえ、傷つくのが嫌で俺から逃げたかったんだよな? 俺も、もうなんだか疲れたし……」

その空虚な目が、哀しく歪む。

「――おまえの望み通り、俺から解放してやるよ」

鋭い痛みが胸を貫く。きっと、今、生田を完全に失ったのだ。私から完全に心が離れた瞬間。それは、初めて聞いた生田からの哀しい言葉だった。

「もう、おまえにとってはどうでもいいことかもしれないけど、いちおう言っておくよ」

俯いたまま、生田が私から一歩離れる。

「おまえと約束していた土曜日に、全部俺の口からニューヨーク赴任のこと説明するつもりだった。もちろん、この先も一緒にいるつもりで」

そして、また一歩遠ざかる。

「それから、あのはがきだけど。あれは、おまえも想像したんだろうけど、俺が大学時代に付き合っていた人からのものだ。恩師の最終講義に、彼女もニューヨークからわざわざ来ていて、それが大学の時以来の再会だった。それ以上でもなければそれ以下でもない。彼女がどうしてわざわざ俺のマンションにまで来てはがきを入れて行ったのかは俺には分からない」

そしてまた、離れて。

「俺にとって彼女は、過去の人。それも、もう何年も前の学生時代のことだ」

離れて行く生田を捕まえたいと思うのに、自分のしたことの大きさが、足を竦ませる。

「俺は、おまえに出会ってからずっと、おまえのことしか見てなかったよーー」

もう、手を伸ばしても届かないほどの距離が出来ていた。

「沙都にずっと、片思いしてたんだ」

俯いていた顔を上げて真っ直ぐに私を見つめた。それは、哀しみに満ちて、そしてすべてに諦めた顔だった。

「俺が勝手に強引に始めて、結局、こんなことになって……悪かった」

「待って――っ」

違う。違うんだよーー!

「送ってやれなくて、悪い……」

生田は通りかかったタクシーを止めて、私を押し込むと、私の住所を運転手に伝えてドアを閉めた。

最後に見せた生田の目には、涙が浮かんでいるように見えた。生田はすぐに私から顔を逸らしたけれど、きっと泣いていた。それを隠すように私に背を向けて、そのまま去って行った。

臆病者は、それを言い訳にして。大事な人を失った。それだけじゃない。自分は臆病者の殻に守られて、人の心を踏みにじったのだ。
そんな私が、許されるはずもないーー。涙を流す自分が許せないのに、次から次から涙が溢れて。失って初めて、気付くのだ。裏切られるかもしれないと未来に怯える辛さより、現実に失うことの方がずっとずっと辛いことだってことを。