「いや、なんでもない。ただ、今日は希をお願いするよ。これ以上ここにいると、おかしなことをしてしまいそうだから帰るよ」
「ちょっと、待ってくださいっ――」
きつく握りしめられた腕から手が離れ、田崎さんは振り返ることもなく私の部屋を出て行った。
どうして、希を置いて行くんですか――?
私までも泣きたくなる。どうしたらよいのか分からなくて、ふらふらと部屋に戻る。
希のこと、好きじゃないの?
あんなに嬉しそうに、はにかむように、希の話をしていたじゃない。
私に打ち明けて来た時の田崎さんの表情が蘇る。田崎さんという人間がまるで分らない。
「……沙都」
突然耳に届いた静かな声に、我に返った。
「希っ! 今、起きたの?」
私は慌てて表情を取り繕い希の方を見た。田崎さんのこと、なんて話そう。どうすれば――。頭の中をいろんなことが駆け巡り、それでもなんとか平静を装おうとした。希はベッドの上に身体を起こし、座っている。
「希、すごくぐっすり寝ててね。田崎さん、迎えに来てくれたんだけど、起こすの可哀想だからって――」
「いいよ。沙都」
私が懸命に言葉を重ねるのを、希が静かに遮った。
「いいの。もう」
「希、本当は起きてたの……?」
希は無言のまま俯く。
田崎さんが来たことに、気付いていたーー?
「いつ? なんで出て来てくれなかったのーー」
「来た時に起きてたわけじゃないんだよ。田崎さんと沙都が話している時に気付いた。そしたら、起きられなくなった……」
「どうして!」
「怖かったからよ!」
希が声を張り上げた。その声で自分自身の心を切り裂くみたいに。
「いつからかな。ちょうど、沙都に私と田崎さんが付き合っていることが知られた頃から、田崎さんが変わって行った。毎日連絡をくれていた人が、それがなくなって。どんな隙間時間だって時間の許す限り会っていたのに、今ではもうずっと会っていない。その理由さえも分からなかった。でも、今、分かった――」
そこまで言うと、希は口を噤んだ。口元に手を当てて、涙をのみ込むように必死に言葉を押し止めている。



