「好き、か……?」

「……好き」

乱れた吐息と共に、沙都が言う。

「もう一度」

「好き……っ」

どこからともなく湧き出す哀しみに飲み込まれたくなくて、その唇を塞いだ。
笑っちまう。

――ベッドの中での男の言葉は信用するな。

そんなことがよく言われるけれど、こんな風に沙都が我を忘れて俺を求めてくれている時にしか聞けないなんて。

情けない男だな。
こんなにも自分が臆病だったなんて。

沙都を好きになって新たな自分が顔を出し、これまで知らないでいた弱い自分を思い知らされる。


「はぁーっ」

俺はそんな自分を戒めるように、大きく息を吐いた。

「生田……?」

そして、ぎゅっと沙都を強く抱きしめる。
どんなに不安になっても、結局この温かさが俺を安心させてくれる。

「ごめん。強引なことして……」

「ううん。それはいいんだけど、今日はどうしたの?」

沙都の首筋に顔を埋めて、その匂いに包まれていたい。
そんな俺の姿に気付いたのか、沙都の手のひらが優しく俺の髪を撫でてくれた。

「ほんと、ゴメン。イヤ、だったよな……」

今日は沙都を抱けない日だと分かっていたのに。その身体を気遣ってやらなければならない日なのに。
考えれば考えるほど自己嫌悪に陥る。

頭では分かっている。
田崎さんへの想いが完全に消えているのかどうかは分からないけど、少なくとも以前よりは俺を想ってくれているということ。

それなのに、田崎さんの言葉くらいでこんなにも衝動的になるなんて――。

「イヤなわけないよ。だって、生田は私が本当に嫌がることをしないって分かってるもん」

沙都はそう言って笑った。

「いつだって、そうだった」

「――そうだな」

おまえが本気で嫌がることなんて出来るわけない。何より怖いのは、おまえがこの手から離れて行くことなんだから――。

ベッドから起き上がり、横たわっている沙都の頬に手のひらを寄せる。

「……遅くに突然押し入るようなことして、ごめんな」

沙都が俺の手に手のひらを重ねてくれた。

「そんなこといいよ。でも、本当に今日はどうしたの? 何かあった?」

「ああ……」

まあ、言えねーよな……。

仮にも好きだった人のことだ。
本当は田崎さんが沙都の気持ちにも気付いているなんて、知りたくもないだろう。
それに、そんなこと沙都が今更知る必要もない。

そんなこと知ってしまったら、沙都が傷付く。
隣の席で、仕事がやり辛くなる。

「まあ、ちょっとな。沙都から聞いてた飲み会の話だよ。今日、田崎さんから言われた」

「え? あれ、やっぱり本気だったんだ」

沙都がむっくりと起き上がった。

「でも、きっぱり断っておいたから。だからおまえもそのつもりでいて。それで、いい?」

「ん? もちろんだよ?」

不思議そうに俺を見つめてくる。
今、少し余計な感情がこもってしまったかな。

「うん。じゃあ、俺、帰るよーー」

「泊まってく?」

ベッドから腰を上げようとしたら、沙都の手が俺の腕を掴んだ。

「バーカ。さっきも身の危険を感じたんじゃないのか?」

もう一度、沙都の頬を包み込むように手のひらで覆う。そして笑ってその目を見つめた。

「そ、それは……」

「それに俺、同じスーツで出勤するわけにもいかないし。今日は帰る」

「そうだね。でも……」

立ち上がりジャケットを羽織ろうとしていると、後ろから沙都のもごもごとした声が続いた。

「今度から、生田もうちに自分のもの置いておけばいいんじゃないかな……」

「沙都……」

振り向くと、俯いている小さな頭が見えた。

「……そうだな。そうする」

「うん」

嬉しい。単純に、そう思う。
それで十分だよな。

沙都の傍にいて感じるそんな小さな喜びも、全部俺にとっては大きな幸せになる。