「どうだろうねえ。息子があんなやる気のない奴ですからねえ」
 へらへらと笑うと運転手が出てきて、リムジンのドアを開けた。
「また豆田町に何かあれば飛んできます。どうか皆さまお元気で」
 深々と頭を下げたのち、車は発進した。辰朗お爺ちゃんの手に水あめとカリカリ梅を持ったまま乗り込んでいる。「良い人だったね」
「ああ。ってか、お前の家庭訪問が中でもう始まってたぞ」
「うわあ。今日はなんだか厄日だわ」
 鵺も自主的に駄菓子屋の前で正座を始めたので、私は中へ入った。中には、ノーネクタイのスーツ姿の梶原先生がシガレットココアを煙草の用に加えながら出されたふ菓子を嬉しそうに手に取っている。
「先生、こんにちは」
「おう。お邪魔してます。ってかなんで先生の方がお前より自宅に着くのが早いんだ」
 苦笑いの先生の後ろで、お母さんが鬼の形相で私を見ていたが気にしないことにした。どうせもう、何をしても怒られる自信しかない。
「吉良、お前、そもそも遅刻確定時間にしか起きてないらしいな。明日からは遅刻は色々と内申に響かせるぞ」
「ひい」
 駄菓子屋の入り口から三人の笑い声が聞こえたので、頭にカリカリ梅を投げつけておいた。
「自由気ままで、わがままで年寄り臭いのに、捻くれてて――心配ばかりかけさせる子ですが、どうぞよろしくお願いします」
 深々と頭を下げるお母さんを、梶原先生は眩しそうな顔で見る。
「いいえ。鵺君は見た目に分かりやすいほど色々抱えている子ですが、比奈さんは色々と我慢した結果の諦めのように感じて私は不安でした。勝手に周りが作り上げた人物像に反発している様子も危うげで」
「……そんな風に思ってたんだ」
 テーブルの上のふ菓子を食べようと手を伸ばすと、にこやかに笑うお母さんにバチンと手を叩かれた。お昼ご飯抜きで戦っていたからお腹が空いたのに、意地悪。
「本人が感情を曝け出して先ほど私に言いました。目に見えないものと私たちは戦っているんだと。私も学生はそれが大事だと考えています。目に見えないからこそ、それに左右されてしまう。気持ちや悩みは人には見えないからこそ戦わないといけない」
 いつもボリボリとぼさぼさの頭を掻き、いつも煙草臭いしシャツはよれていたりネクタイは歪んでいたり、黒板の字も汚い。女っ気もないあたりちょっと同情していたのに。そんな風に先生は真面目に考えてくれていたらしい。
 本当に目に見えない部分って不思議。きっと梶原先生は、鵺が世界征服しようと部屋中を改造銃で溢れかえしていたり、鳩がナンバーワンホストだったり、ハトコの透真君が野球少年の皮をかぶったガキ大将だと知らないし気付いていない。
 今、目の前の私の首にふわふわとひととせちゃんが捲かれているのも。それでも、私たちが何かと戦っているのだと温かく見守ってくれているんだ。
「……先生って、本当は良い先生なんだね」
「お、漸く分かったか。明日は何が何でも遅刻の言い訳は聞かないからな」
「重爺ちゃん、辰則お爺ちゃんの息子が苛めてきます」
「これ、比奈」
 お母さんが私を窘めるけれど、重お爺ちゃんは昔のようににたりと笑った。
「生意気になったのう。あいつ、昔は日田の屋敷に泊まる度に怖くて布団に――」
「お爺ちゃん、生徒に余計なことを拭きこむのは止めてって」
 先生がシガレットをかみ砕きながら口止めするのは楽しかったけれど、お母さんから新品のスリッパで叩かれた。先生はそのあと、そそくさと用件を言って、それと夏までに進路の希望を明確にしようなと小さな釘を刺されてしまった。