「詫びよう。透真とやらのツレに、明日、悪かったと詫びておこう」
「分かればいいんだ。分かれば」
 透真君は人差し指で鼻の下を摩ったが、泥で髭が出来てしまった。「もう少し、力も人脈も――比奈も手に入れてから旗を上げよう。たかが烏丸を壊滅しただけでは、俺の野望は終わらないから」
「そうそう。それがいいよ」
「ほら、雷が落ちてくる前に俺たちも雨宿りしましょうっす」
 鳩と私が二人に手を差し出したと同時に、空を割る甲高い雷が落ちた。その雷は、こう叫んだ。
「芽衣子――!」
 何度も何度も雷の様な鋭く悲痛な声が、雨の中聞こえてくる。
「重お爺ちゃん!?」
 バシャバシャと泥をはねながらやってくる重お爺ちゃんのズボンは、太ももまで泥で茶色くなっていた。それでも重お爺ちゃんは周りをきょろきょろしながら走っている。
「芽衣子――。芽衣子――。行くな、行くな、行くなあああああ」
「お爺ちゃん、落ちついて」
 亡くなった芽衣子さんの事を、雨の中錯乱して呼んでいるのかと、鳩と一緒に止めに行く。
「重じいちゃん、俺、梶原先生にちゃんと伝言伝えといたっすよ。ってか、もう俺たちの駄菓子屋の前に居るっす」
 鳩が優しく話しかけても、お爺ちゃんは乱暴に振り払った。
「違う。違う。――こんな、こんな雨の日だった。芽衣子が事故にあったのは――」
 叫びながら、芽衣子さんを探す重おじいちゃん。芽衣子さんの事件は、諌山のお爺ちゃんが言いにくそうに口を濁していたけれど、お爺ちゃんは今、その夢の中に囚われて叫び続けているように思えた。
「どうしたの? 雨の日に芽衣子さんが事故を起こしてどうしたの?」
「儂が、言った。芽衣子に『俺はお前ともう別れたい』と。芽衣子は雨の降る中、道へ飛び出した。けれど、けれど、儂は自分に自信が持てずに芽衣子を追えなかった」
 お爺ちゃんが、いつのまにか謎かけを始めたのも。いつも何か自分を責めるような、悲しい言いぐさだったのも、その雨の日の自分の行いを恥じているからだった。
「お爺ちゃん、落ちついて。芽衣子さんは、追いかけなくてもちゃんと貴方の御嫁さんとして生涯を送ったんでしょ?」
 背中をさすると、お爺ちゃんは大きく首を振った。
「違う。芽衣子は儂の言葉がショックで、――自分を守るために心が嘘を吐いていた。事故でバイクとぶつかった芽衣子は――、頭を打ち記憶を自分の都合のいいように改ざんして目覚めた」
 透真くんも鵺も、重おじいちゃんの泣き声に立ちあがって様子を伺いに此方へやってきた。
「芽衣子は、起きて第一声に儂にこう言った。『お兄ちゃん』と」
 何度も何度もお爺ちゃんを苦しませる悪夢のような寂しい時間。豪雨で、雷が腹を抱えて笑っているのか、次々に雷が落とされる中。重お爺ちゃんは諦めたように言った。
「芽衣子は、儂が離れていかないように儂のことを『お兄ちゃん』と呼び、本当の兄である辰(たつ)朗(ろう)さんを恋人だと言いだしたんだ」