「すまないね。寂しい思いをさせた。――辛い思いをさせた。君ばかりが傷ついて、僕は悲しいよ」
 大人びた口調で子狐を抱きしめる少年が、なんだが誰よりも大人びたオーラを放っていて思わず部屋に入れず佇んでしまった。スンスンと、首の匂いを嗅いで、子狐は目を細めている。それがなんだが、此方が照れてしまいそうなほど二人の関係の深さを物語っていた。
「君は綺麗な白狐だから、きっと誰もが欲しがるしきっと大切にしてくれる。煌びやかな世界で、笛の音に着物がたなびいて、精霊様にご寵愛されて君はきっと素敵な人生を送れる。僕は、また心臓の手術が決まったんだ。これで四回目だよ」
 狐の尻尾を撫でながら彼は、寂しそうに笑う。
「この身体は強くないし、長くもない。君がどちらを選べば幸せか分かるだろ?」
 男の子は、子狐と心で会話していた。少なくとも私にはそう見えた。私にさえ時折石にみえてしまうような危うい姿の子狐を、少年は愛しげに抱きしめている。
「……そう。君の気持ちを試すような真似をして悪かった。許してね」
 撫でられた子狐は、ふわりと少年の肩にすわるとマフラーのように彼を温める。少年は静かに目を閉じた後、決心したかのように私に向き直った。
「お姉さん、この子を暫く預かってくれますか」
「え、でも君の大切な子狐ちゃんでしょ?」
 そう尋ねると、少年は大きく頷いた。
「そうです。でも僕は心臓の手術で遠くの病院へ移らないといけない。初夏秋冬はこの地域から、誰の加護さしでは生きていけられない。それに僕も手術が終わったら内地から出られない。だから貴方のもとで彼女に色んなモノを見せてあげて欲しいんです」
「色んなモノ?」
「季節の移り変わり、人と人が交差して成長していく様、内地では見られないこの地域での物語を彼女に見せてあげてほしい」
 突然だ。突然また、私の穏やかで平凡を夢見る日常に、ファンタジーの様な脅お伽草紙の切り抜きがひらひらと舞いこんできた。非日常の、物語の登場人物に指名されたんだ、私。
「お礼もします。貴方が今、一番要らないと思っているその不思議。僕が貰ってあげてもいいです」
「信じたくないけど、――認めてあげるしかないのよね。私が手を伸ばすと、子狐が何度も振り返りながら少年を見る。「僕の心臓が僕の意思と同じぐらい負けないでいてくれたら、きっと貴方の体質を僕が祓って差し上げます」
「体質?」
「忌みをおびき寄せてしまう高貴な香りを、祓ってさしあげますよ」
 少年は立ち上がる。凛々しいけれそ、身長はやはり私の腰ぐらいしかない。きっと小学校低学年ぐらいだろうに、何十年も生きてきたような、悟った瞳で私を見上げた。
「春夏秋冬は、力を増幅させてくれる尊い力があるからきっと貴方をお守りします。どうか、使役されぬように誰にも渡さないでね」
「……なんか、夢みたいな内容をがーって話されてもどんな顔していいか分からないけど、この子を君の手術の間だけ、誰にも渡さなかったらいいのね」
「うん。キツネ目の男とかは、変化してるかもしれないから気を付けてね」
「分かったよ」
「じゃあ、僕帰りますね。突然すいませんでした」
 すくっと立ち上がった少年は、もう一度春夏秋冬を抱きしめると、私を真っ直ぐ見上げた。
「遅くなりましたが、僕の名は五百(い)扇(わぎ)遊馬(あすま)。たまに手紙を出すのでどうか忘れないでやってください」
「強烈だから忘れないよ。あ、待って。菖さんの神社に帰るなら送っていくよ。誰かに車出してもらおう」
 姫神神社は家から十字路を曲がって真っ直ぐ進めばいいのでそんなに距離はないけれど、身体が弱そうな彼を心配してそう言う。が、少年は首を振った。
「ううん。今、此処から姫神まで僕が帰ると道が出来てしまう。僕は大丈夫ですよ。お姉さん、優しいよね。もっと冷たい対応されると思ってたのに」
 クスクスと笑われて、思わず私も苦笑してしまった。
「私の周りは、君より癖がある奴ばっかだからかな」
「いいね、楽しそう」
 楽しいとは思ったことないけど。
「そうだ。狐の御雛様、あれ、手放しちゃ駄目ですよ」
玄関で下駄を履きながら、思い出したように言われたけれど、どうしてこの子が知ってるんだろう。
「うん。多分、手放さずに済みそう」
 「だったら良かったけど、気を付けてね」
 少年は帰るとき、何度も何度もこちらを振り返ったけれど、泣かなかった。子狐ちゃんと少年はきっと何度も何度もお別れをしてきたんだろう。上手なさよならを知っている様子だった。
 大人のお別れの仕方を見ながら、なんだか上手く言えない寂しさが心に残ってこびりついた。
「お嬢、何をしてるんすか?」
 少年を見送る私に後ろから声をかけたのは段ボール二つを持った鳩だった。
「それ、鵺が大人しく渡してくれたの?」
「そうっすよ。彼はちゃんと大人の言い分も分かってるっす。本物は見つけられなかったけど、これで怪我する悪者は減りましたね」
「悪者を助けてもねえ」
 鳩は私の首に巻かれたひととせちゃんには気付かなかった。もう完全に見えないものになってしまったんだ。
「鵺は、明日ちゃんと学校に来るのかな」
「諌山のおじいさんがバイクの後ろにくくりつけても連れてくるって言ってたっす」
「え、おじいちゃん帰って来たの!?」
 駄菓子の溢れかえったお店を通り向けながら、鳩は頷く。
「手を怪我してましたが、古いレンズを交換していて落としただけみたいでした」
「そ、……なんだ」
 思いっきり鵺を疑ってしまったのは悪かった。そのおかげでこの改造銃の量産を途中で止めることは出来たけれど。
「あとはおじいさんが話しあうからと、鵺君とテーブルに向き合ってカツ丼食べてました」
「何それ、取り調べみたい」
 リビングへ入ると、うちはお鍋だったようでぐつぐつと良い香りが漂っていた。豆乳鍋だったけど、ひととせちゃんが私の髪の後ろへ逃げたから怖かったみたい。まだ鍋に入れる前の油揚げを上げると両手で上手に食べていた。
「お母さん。三分一さんとの契約のことなんだけど」
私がそう切り出すと、鳩が緊張から箸を落としたけれど私は気にせず話を続けた。