まだ二杯目を食べ終わっていないのに、お早いご帰宅だった。
「自転車で帰った方が送るより安全だって言われちゃいました。残念っす」
「愛海の自転車の速度は電車並みだからね」
 冗談のつもりが鳩は納得していた。明日、愛海にちくってやろう。
「なんか、豆田町のお店って歴史が香っていて、すっごいわくわくするんですよね。わー、比奈さんの家の雛人形って絶対いい匂いするっすよ」
「気持ち悪い言い方しないで」
「比奈」
 つい悪態を吐いてしまってお母さんに窘められたが、鳩はにっこり笑って怒らなかった。
「じゃあ、邪魔しないから文化に触れさせてください」
「分かった。業者さんいつ来るの?」
「駅の近くのホテルに泊まってるから、毎日来るわ。明日も来るから帰りにおばあちゃんの家に来てちょうだい」
「了解」
 二杯目を食べようやく満たされたお腹を撫でながら、明日も家庭訪問だから午前中だけだと思いだした。私の家庭訪問は最終日の一番最後の日だった気がする。何を話すんだろうか。
「お嬢、宿題は大丈夫っすか」
「今日は国語だけだから大丈夫ー」
「それにあんたの字はばれるから、今度から私の字の雰囲気を真似してよね」
 スコーン、スパパーン。左右からお父さんとお母さんに新聞とスリッパで同時に叩かれた。宿題は自分でしろって言いたいらしい。
「冗談だよ」
 でも鳩なら出来る気がする。次の日の朝、とうとう私は遅刻した。いや、語弊がある。いつものように私は遅刻した。誰も起こしてくれない中、外で鳩が道路を掃きながら重お爺ちゃんとにこやかな会話をしていたので、沸々と色んな感情が沸き上がってきたが今は遅刻の言い訳を考えながら走り抜けるのが先だった。
 部屋の中の子狐は未だ意思表示はできないものの丸まっている。桜の木の枝で隠してから家を飛び出した。魔除けの意味があると、以前大原神社の巫女さんが言っていた気がした。橘の葉もと言われたが、橘が何か分からなかったのでこのような処置を取らせてもらった。
 やばいな。透真君怒らなきゃいいけど。
 諌山のおじいちゃんが拳銃を奪えたのかも気になったけど、私は今日もまた梶原先生へ言い訳を考えなければいけない方が憂欝だ。壁にひょいと飛び乗り走り出すと、今日も観光バスが横切る。
「お嬢ちゃん、塀の上を走るなんて危なくないかい」
 窓を開けて紳士そうなお爺さんが私を見てそう言う。だから美少女と言われるこの美貌で微笑んでおいた。
「だって雨の降った次の日は、水溜りがはねるんですもの」
 お嬢様っぽい喋り方をしながら誤魔化すが、本当は違う。豆田町自体には居ないけど、観光バスに『忌み』が憑依して乗りこんでくる。きっと豆田町を守る結界みたいなのがあるとして、観光バスはその結界の中を壊しながら進む。それに忌みが貼りついても、仕方がないことだ。そしてそんな侵入してきた忌みは、私に吸い寄せられていくことが多い。
 朝日に輝く秘め百合をかざし、その黒い靄を切りつけながら、学校まで塀の上を走り抜けるしかない。片手で剣を振り回し、ホームルームの予鈴が鳴るのを聞きながら学校を目指した。
「今日はクラスの係決めをしたいと思う」