初めてみかどは、大学内に足を踏み入れた。ミニスカナース服の千景と、学食へ向かう。学食は、夕方近くだったので、勉強してる人やデザートを食べている人、談笑している人がぽつりぽつりと居た。千景の教え通り、御盆を持ち並べられた小鉢のおかずを取り、メインのおかずは今日は7種類。それのなかから好きなメインを選択するシステムだった。ガラスの戸棚に入っているデザートの誘惑に負け、杏仁豆腐をお盆に乗せて、レジで支払った。

「カフェじゃ話せない事って何」
 そう尋ねられて、杏仁豆腐にスプーンを刺すのを躊躇う。
「おに、お兄さんについて、なんだけど」
「あら、好きになったの」
「す! す! ちがっ違うの! あのねっ」
「記憶喪失の事よねぇ」
 みかどの反応に満足した千景が、真面目なトーンになって、そう言った。千景は、祖母から聞いた断片的な情報を脳裏に写す。肌に残る、畳の跡。猫の、鳴き声。優しく、ゆっくり、縛られていく甘い声、温もり。退化と対価。出かけては駄目。

出かけたらー……。何度も何度も、――鎖が千切れないように念入りに言い聞かせる。小さな、純粋な少年に。

「と、言っても私も、おばあちゃんから詳しくは聞けてないのよね」
 ペットボトルのお茶を、指でつつきながら、千景は言った。
「おばあちゃん、とある人の大ファンで今世界ツアーの旅に出かけてるけど、ずーっと鳴海さんの事ばっかり気にしてたのよね。『孔礼寺の息子とは会わせるな』『過去を思い出させようとはするな』」
 そして、ゆっくりとみかどを見つめた。
「『土曜日と日曜日は、部屋を覗くな』って」
 喉を飲み込む自分が居た。知りたくて、知りたくなかった事。

「昔、まだアルジャーノンが出来る前。鳴海さんと母親と、鳴海さんの姉が、202号室に住んでたらしいわよ。鳴海さんが小さな頃ね。その時に、……色々あって記憶が無くなったというか、全部忘れて、今みたいな骨の無い優しいだけが取り柄みたいな鳴海さんになったらしいんだけど」
 毒を吐きながらも、千景は笑いもしなかった。