お兄さんが優しく労るように言うが、ドラガンさんは瞳を輝かせて首を振った。
「『長き夜の遠の眠りの皆目覚め波乗り船の音の良きかな』じゃ。ああ、この美しい回文に今夜は眠れそうにない」
「本当に酔っ払っらったのですね」
 呆れた店長に、ドラガンはムッとする。
「拙者は、お主には不満がある。お主のせいで、この二階のアパートの日本文化溢れる畳が取り払われ、フローリングになったんじゃぞ」

「――どういう事、ですか ここは僕が住む以前からフローリングでしたよ」
本当に分からない、と首を傾げる店長に、ドラガンさんはグッと言葉を飲み込んだ。
「畳も、お主には『悪い思い出』なんじゃな。――すまなんだ」
「いえ」
 不思議な顔をしながらも、笑う店長。みかどは二人をただただ見つめるだけだった。

ドラガンは寂しげな憂いを背中に湛えながら、203号室に入っていく。203号室のドラガンは、日本をこよなく愛す、ユニークな外国人だった。
 これでマンションの上の住人全員と顔を合わせる事ができ、その上皆、気さくで優しい人ばかりで胸を撫で下ろした。
 食べたお皿を洗い、まだタヌキの耳を付けたままの店長に挨拶をする。

「お兄さん、お休みなさい」
「まって、みかどちゃん」
 上の階へ上がろうとするみかどは慌ててそう呼ばれ、トアノブを握る手を離した。店長は、手をもじもじさせながら、顔を真っ青にしたり真っ赤にしたりしながら、決心したのか真っ直ぐ見つめ勢いよく、頭を下げた。

「すみません! 僕、余計な事とは思うのですが、先ほど、実はメールの内容を見てしまいまして……困っているのならば、何か力になれませんか!」
「え、あのっ」
 どうやら店長は岳リンのメールを見てしまったのだ。だが、みかどには何と書かれていたのか分からない。内容を分からないけど店長は心から心配してくれているのが伝わって来る。
「僕が日曜日、代わりに行けたら良いのですが、僕は此処を、出れないからー……」

 身体は冷えていくのに、鼓動は速く、胸を突き破るかのように動いていた。
「ど、……して」