出張帰りの葉瀬川がやってきた。
「ああ、面白そうだね」
 気怠げにネクタイをほどくと、葉瀬川も鍬を握り締めた。岳理と葉瀬川が鍬で壁を削り、みかどとドラガンがスコップで叩く。けれど、まだまだ壁は壊れない。
 岳理がリヒトとトールを呼んで来た。
「あぁ! 何、みかどちゃんに労働させてるの!」
「最低鬼畜野郎共! 地獄へ落ちろっ」
 リヒトと岳理と葉瀬川が鍬で傷つけて、トールとドラガンとみかどでスコップで叩きつけ。けれど、まだまだまだ壁は壊れない。
「――何をやってるんだか」

 千景が諦めたように笑った。
「出て来ないなら、――店ごと壊しちゃいましょうよ」

「それ、面白ーい」
「テーブルも椅子も、全部捨てちゃおう」
 リヒトとトールが恐ろしい行動に出る中、みかどたちは扉を壊そうと奮闘するがまだまだまだまだ壁は壊れそうにない。壊れるのだろうかとちょっと不安になってきた時だった。定住音の猫の泣き声がした。

「み、皆さん、出て行きますから止めて下さい! ゴホッ スゴい壁煙が……」
「出なくて大丈夫です」

 みかどはそう言う。
「みかど、ちゃん……」
「こ、こんなカフェがあるからいけないんです! 今、出てきたとしても、また土日に閉じ込められてしまうなら、もう出てこなくて良いです」
「……」

「無理矢理、引っ張り出しますから!」
 そう言っている間に、皇汰が扉の中心に油性ペンで×を描いた。

「みんなで此処を目掛けてやろう。一番硬度が低いと思う」
「じゃあ、壁砂が酷いから私は窓を開けよう」

「儂は、中からドアを開けないように外からドアノブにほうきを巻きつけといたぞ」
「じゃあ、俺はハンマーで本棚壊そうっと」
「リヒトがするなら、俺はビニールシート敷こう。カフェが汚れるしね」
「おい、定宗も手伝え」

 皆、腕まくりをすると張り切って作業を再開してた。だが皆が楽しそうにワイワイやってるのは店長をイジメたいわけではない。ただ、同じ気持ちなだけ。その気持ちが店長に伝わりますように。心なしか、
「あ、開けて下さいっみかどちゃん! 皆さんも居るんですか!」
「み、皆さんっお兄さんもこう言っています! 頑張りましょう!」
「おー!」
 店長があたふたしている中、皇汰が描いた×印が伸びる。ピキピキピキと、稲妻のように裂け目が広がったのだ。その時、従業員の皆の心は1つになった。岳理と葉瀬川とみかどで壁を壊し、皇汰と千景が応援しトールとリヒトとドラガンが店内を壊して行く。
「み、皆さん!」

 店長の悲痛な声と共に、やっと扉は壊れた。手が入るか入らないかぐらいの小さな小さな穴が開いた。
「嗚呼、壁が……」
 壁の向こうにはポロポロと泣くお姫様が、悲痛な面持ちで座り込んでいる。壊れた扉の周りをスコップで削り始めた時、巨大なシルエットがみかどの頭上をひらりと飛んだ。軽やかな身のこなしで壁に頭を入れたのは漬物石、ではなく。
「さ、定宗さん!」
「ミギャア!」
 頭を突っ込んだ定宗が、両手両足で壁を蹴って暴れている。
「ちょ! 自分の体格を考えなさいよぉ!」
「駄目じゃ抜けぬ!」
「えー、次は、『おおきな定宗』って事」

 皆で色々と策を思案していた時、本当に漫画の様なシーンを目撃した。
「定宗さん! 顔を怪我してしまいます!」
 店長のその一言で、ピキピキピキと稲妻のようなヒビが定宗の周りを走り抜け、壁が、定宗の周りの壁が、簡単に壊れてしまった。
「す、げー……」
 誰が言ったのかも分からない状況で。皆が呆然としている中、人が1人は抜けられるぐらいの壁の穴の向こうに、砂埃と、定宗さんを抱きしめるお姫様の姿が見えた。

「みかどちゃん……。みんなっつ」
 ポロポロと泣く店長を見ると、胸が痛く切なく締めつけて行く。
「どこが……」

 みかどは両手を強く握り締めて、叫ぶ。

「どこが、お兄さんが『可哀想』な子どもなんですか! 過去は未来より大事なんですか!」
そう言うと、岳理も壊れた扉を見て、クッと笑う。


「――過去は知らねえが、お前を助けたいと思う仲間はいっぱい居るみてぇだぞ、鳴海」
 立ち上がるように手を差し伸べる。他の皆も、この状況を微笑ましく見ている。

「わ、私、壊します! 何度でも、壊します、から! お兄さんが監禁されたくて閉じこもる度に、その壁をぶち壊しますから!」


 そう言うと、店長はポロポロ泣いていた涙を引っ込めた。

「ぷぷっ本当に皆さんはっ」
 ぷぷっ、と噴き出した店長は、そのまま笑い出しました。
「……負けました。僕、馬鹿でしたね」
そう言うと、岳理の手をとり立ち上がった。
「もっと、恐ろしいものだと思っていました。――この、戒めから逃れるのは」
「シリアスに助け出さなくて悪かったな」

 皮肉をこめて岳理が笑うと店長も笑顔で首を振る。
「いいえ。感謝します。皆さんで騒いで、力を合わせて扉を壊してくれた事を」
 そう言って、みかどを見て微笑む。
「ありがとう。みかどちゃん。みかどちゃんのおかげです」

 ゆっくり、みかどの方へ近寄ると笑った。
「みかどちゃんに出会わなければ、僕は……僕はずっと監禁されていたままでした」
「じゃあ、もう……大丈夫ですか」

 尋ねると、少しだけ顔は曇る。
「ま……だ、分かりません。今度は過去との戦いなので……。でも、……でも、とてもスッキリした気分なんです。僕も逃げずに向き合っていきたいと思っています」
そう言うと、みかどの手をとった。
「皆さんにもう一つお願いをしてもいいですか」

「なんでしょうか」
 みかどを筆頭に皆が笑顔で聞くと、店長は恥ずかしそうに笑う。
「202号室。あそこももう人が住めないぐらいめちゃくちゃに壊して頂いても良いでしょうか。僕と一緒に」

 その前向きな言葉に、みかどと一同皆が、雄叫びを上げた。そのまま雄叫びを上げながら三階の202号室へ駆けて行く。

 そして、千景がマスターキーで開けると皆が土足で暴れ回る。が、そこはベットのみというなんとも寂しい部屋だった。クローゼットの中に、最低限の服、冷蔵庫の中には納豆と卵のみ。人が到底住んでいるとは思えない綺麗過ぎて何も無い部屋だった。


 その中で、仕方が無いからと、何故か自分たちの部屋から思い思いのモノを持ちこみ、原型がないぐらい綺麗になっていく。壁にかけられた虎を描いた水墨画。蛍光ピンクのテーブルに、黒の食器。読み飽きられた三カ月分の週刊少年スキップ。ピンク色のハートのクッション。どれをどう見てもカオスだった。


 何も渡すものがないみかどはあたふたとカバンの中を漁った。そしてカバンの底にクシャクシャになって押し込められら三者面談のプリントを見つけ、それで簡単に鶴を折って窓辺に置いた。
「はー。壊したし模様替えしたし、お腹空いたね。夜ご飯何か作ろうか」
「あの、――お兄さん、お話が」

 みかどは再度勇気を振り絞り、店長に話しかけるのを、岳理だけが瞬きもせずに見張っていた。
「はい」
「私の事とか、その記憶の隅にないですか 私が実は生き別れた妹だったりとか」
「うーーーん」

 店長は首を傾げながらも、そのまま傾げた角度に釣られ倒れてしまう。
「お兄さん!」

「いや、すいません。小さな頃は自分が生きていくので必死で。姉も思い出したのですがなんせ、小さい頃の記憶なので。んんんん」

「こ、こうなると、葉瀬川さんが本当の父親説か、うちの父が留学中に英国人でもたぶらかした、ドラガンさん兄説にかけるしかなくなるような」

 真っ青になったみかどは、そう言いつつも心のどこかで、ここに兄なんて居ないのではないかと思っていた。母の血を受け継ぐ人が他にも居るのであれば、それは幸せなことかもしれないけれど、世の中はそんなに上手くできていないのだ。


「――じゃあ、俺はもう帰る」
岳理は、ただ黙ってそう言っただけだった。
「みかどちゃん」


岳理も帰った部屋で、――店長はクローゼットの一番上にある小さな缶の箱を取り出した。その中には、定宗の歴代の首輪や、小さくなって使えなくなった鉛筆や、消しゴムの玩具、ビー玉など、ガラクタに近いモノが仕舞われていた。


「これ、ずっと記憶がないのにおかしいなって思ってたんです」
取り出した一枚の写真。古ぼけてしわしわになった一枚の写真。
「大学で、岳理くんを見て僕から話しかけたんです。ああ、この写真の人だって。でも、――聞いたらフラッシュバック起こしちゃうかなって怖くて聞けなかった」


 写真を見た瞬間、みかどの口の中がカラカラに乾いて行くのが分かった。写真に写る看護婦は、紛れもなくみかどの母親だった。その横に立っているのは、目つきの悪い幼い日の岳理。この目つきの悪さ、ふてぶてしさ、顔、似ている。みかどの母親が岳理の方に手を置き、岳理が嫌がっている。場所は病院内だろうか

「僕、入院が長引いた時にこの看護師さんが歳が近い子がいるって紹介してくれようとしたら、岳理くん逃げちゃって。ちゃんと会ってはないんです。なんで此処に岳理君が居たのかも分からないけど。でも看護師さんは覚えています」
「は、母です。この写真のこの人、母です」

 じわりと目頭が熱くなると、写真がぼやけて何も見えなくなった。
「一番優しかった看護師さんでした。身寄りが無くなった僕に、一緒に住もうって、引き取るって言ってくれたんです。でも、おばあさんが強く出てくれてそれから退院したら全く会えなくなってしまって」
「は、母は私を産んですぐに亡くなってしまったんです」


 みかどの言葉に、今度は店長が驚き泣きそうな寂しそうな表情を見せた。
「じゃあ、本当に。もう少し彼女が長く生きて下さっていたら、僕たちは家族になっていたのかもしれないですね」
「お兄さん・・・・・・」

「ふふ。本当のお兄さんです、僕」


 店長が嬉しそうに両手を広げたので、みかどはその胸に飛び込んだ。少しだけ歯車が動くのが遅かった。もう少し早く動いていれば二人は今頃一緒に暮らしていたのかもしれない。でも、店長はこれではっきりと『本当の兄』ではないと判明した。やはり、皇汰の名推理は外れていたのかもしれない。正確には皇汰の叔父には当たるが、説明も難しい。
「岳理さんを追いかけて私、聞いてきます!」


「ま、待って下さいっ」
「………」
 逃さないと腕を掴むと、岳理は盛大に舌打ちした。
「あの、本当に今日はありが」

「何でみかどがお礼を言うワケ 鳴海は俺の友達だから、みかどがお礼言うのは変だろ」
「そ……ですが」
 ぐんぐん進んでいく岳理がとても遠くに感じて、慌てて服の裾を掴んだ。
「………」
岳理は歩くのを止めて、ゆっくり振り返る。


「鳴海の問題は終わったけど、お前の問題はまだ終わってないだろ」
 そう言われたので、みかどは何度も何度も頷く。諦めたような重い溜め息を吐いて、裾を掴んでいた腕を掴まれる。
「いつでも、相談しろよ。――必ず力になるから」


そう言うと、手をパッと離されて車に乗り込もうとしていく。みかどはドキドキしながらも、岳理も心無しか照れているように見えた。
「みかどー とりあえずご飯にしようよー」
 千景がカフェから手招きしながら、そう言う。だが、みかどは千景の言葉に耳を傾ける前に、岳理へ言った。
「この、この写真の子供は岳理さんですか」

 岳理が明らかに動揺して、その写真を奪った。千景も何事かと二人に駆け寄る。
「そ、その写真の人は私の母です。岳理さんは、うちの母と知り合いだったのですか」
岳理は大きく頷くと、諦めたようにその写真をみかどに返した。

「俺の母親は、あの108ある階段の一番上から、分家の奴らに突き飛ばされて俺を早産すると――俺の前から消えた」
「え」
「そいつが再婚するって聞いたから、見に行った日の写真」
「えええ」


 驚いたのは、みかどではなく千景だった。