休日の駅はすごく混んでいる。
 俺の住んでいる町はちょっとした観光地で、夏休みなどは近隣都市からたくさんの観光客が訪れる。
 おまけに土日だと市街地へ向かう地元民も駅を利用するから、お昼前のこの時間帯ともなれば出入口はごった返す。
 日曜にもかかわらず、こうして暑い中外出しているのは、昨日の夜に武内さんからメールが来たからだ。
「お願いがあるんだけど」という件名のメールでちょっと身構えたけれど、内容はいたってシンプルで、俺の近所を案内してほしいというものだった。
 そんな簡単なことならお安い御用だったけれど、「お礼にカフェで何かおごる」とあったから、二つ返事でOKした。
 後のメールのやりとりでわかったことなのだけれど、実は昨日、武内さんは「たまや」の周辺の写真を撮りに来ていたそうだ。
「たまや」の前で良い一枚が撮れたため、そのままその一帯の古い日本家屋を撮影しようと住宅地へ足を踏み入れたけれど、あまりの“アウェイ感”に逃げ帰ったということらしい。
 駅周辺が観光地としての色が強いため、その雰囲気を期待して住宅地のほうまで足を伸ばす人たちがいる。けれど当然ただの住宅地なので特に見るものもなく、途方にくれているそういった人たちの姿をたまに見かける。
 その上、住宅地に住む人々のほうも観光スポットになった気などさらさらないため、そうして生活圏内に入り込んで来た観光客に対して向ける視線は冷やかだ。
 だから武内さんが戸惑ったのも無理はない。

「お待たせ、安達くん」

 わらわらとホームから出入口にむかって押し出された人波を抜けて、武内さんが現れた。何かいつもと雰囲気が違うと思ったけれど、しばらく観察して、それは服装のせいだと気がついた。
 制服以外で会うのは花火大会以来だ。あのときは浴衣だったから、私服らしい私服を見るのは今日が初めてだった。

「ごめんね、暑い中待たせちゃって」
「……いや、大丈夫」

 制服っていうものはとことん個性を消すものなのだと、武内さんの私服姿を見て思い知る。
 セーラー襟のノースリーブにデニムのショートパンツという私服は、シンプルだけれど女の子らしさもあって、武内さんによく似合っていた。
 どうだ女の子だろう! という押し付けがなく、二の腕を晒しているのにどこか清楚な印象だ。デニムのショートパンツというのも活発な感じがして好感が持てる。
 端的に言うと、とても可愛らしい。
 そのせいで、いつも通り受け答えができなかった。

「これが昨日撮った写真なんだけどね」

 そう言って武内さんは一枚の写真を差し出した。
 青空をバックにして、「たまや」と黒っぽい三毛猫が写っていて、なかなか良い味を出している。確かに、こういう写真を見ると古い日本家屋を撮りたい気持ちになるのがわかる。

「この猫、可愛いよね。もっと近くに寄ろうとしたらササーって逃げちゃって」
「それは残念だったね。黒が多い三毛ってあんまり見ないし」

 写真に写る猫は、黄色の目でジッとこちらを見ているようだった。決して睨んでいるわけではないけれど、その視線はきりりと鋭い。
 その目に何となく見覚えがある気がするのだけれど、はっきりと思い出せなかった。

「いわゆる新興住宅地に住んでるから、こういうの新鮮」

 古い住宅が建ち並ぶ細い通りを歩きながら、武内さんは物珍しそうに周りをキョロキョロした。
 武内さんはここから二つ先の駅周辺の、わりと新しい町に住んでいる。十年くらい前から急速に開発が進み、今では大型スーパーや商業施設も多く隣接する人気の住宅地になっている地域だ。
 俺にとっては見慣れた景色でも、そういう場所に住んでいる人にとっては確かに“新しい”感じがするだろう。
 築百年なんて家もあったりするから、たまに観光客がレトロだなんだともてはやしている。

「うち、おじちゃんたちもマンション暮らしになっちゃってるから、こういう古いお家って憧れるなー」

 武内さんはキラキラした眼差しで家々を眺めながら、時折塀の上を歩く猫や足元の雑草なんかにカメラを向けていた。

「そんなにいいものでもないよ。古くなったらやっぱり住みにくくて、取り壊して新しい家を建てる人もいるし、そのまま古家つきの土地として売り出す人もいるくらいだから」
「そうなんだ……じゃあ、いつかはなくなっちゃうのかな」

 同じ景色を見て歩いていても、俺と武内さんは違うことを考えていると思う。
 子供のときから住みつづけた愛着はあるけれど、ずっとこのままでいいとは思えない。
 失われるのはもったいないという気持ちもわかるけれど、実際に暮らしていくにはその気持ちだけではやっていけないからだ。
 家は古くなればそれだけ手入れが大変になる。雨漏りがしたり屋根裏に蜂が巣を作ったり、台風が来たら瓦が飛ばされたりするのだ。
 町と共に人も一緒に年を取り、今ではお年寄りが主な住民となったこの地域で、細やかな家のメンテナンスは難しい。だから家を手放し別の町へ行く人がいるのも、新しい家が建つのも仕方がないことだと俺は思う。

「こんなふうに、古いものがどんどん新しく生まれ変われたらいいのにね」

 そう言って武内さんは、目の前の建物を指さした。

「ここ、カフェになってたんだ……」

 武内さんに連れられてたどりついたのは、一見するとただの二階建ての古い日本家屋だ。けれどよく見ると、引き戸に暖簾がかかっているし、表札の部分には「カフェ 眠り猫」と書かれた木製の小さな看板がかかっている。
 そう言えば母さんが、近所に雰囲気のあるカフェができたと言っていたけれど、ここのことだとは思わなかった。
 小さい頃、近所を歩き回れば当たり前に目にしていたただの古い家が、こうして小洒落た雰囲気のカフェに生まれ変わっているだなんて思いもしなかった。
 昔の記憶だと木々が鬱蒼としていて少し不気味だと思っていた庭は、今はよく手入れがされ、癒しの緑になっている。外壁を覆う蔦すらも、風情を出すのに一役かっていた。

「良い雰囲気だなって思うけど、やっぱりパッと見が一軒家だと入るのに少し勇気がいるね」
「そうだな。これ、入るとき『ごめんください』とか言ったほうがいいの?」
「それはいらないでしょー」

 メニューが書かれた看板も何もない入口で、二人して入るのをためらっていた。隠れ家的な店は、総じて子供の俺たちには敷居が高い。
 このままでいるのはちょっとかっこ悪いかなと思い、思いきって引き戸を開けて中に入ろうとしたとき、向こうから戸がガラリと開けられた。
 武内さんはいきなり開いた戸に驚いていたけれど、俺はそれより中から出てきた人に驚かされた。

「母さん……!」
「司ぁ! あらぁ! 女の子連れじゃない!」
「ど、どうも」
「あらあら。安達さん、じゃあ私はこれで」
「ええ、また。司、女の子を連れてくるなら朝ちゃんと言っといてくれないと。ああ、どうしようかしら。お掃除そんなに丁寧にできてないわ。お昼はもう食べた? まだなの。じゃあ母さん、支度するから」

 店から出てきた母さんと母さんの友人は、俺と武内さんを交互に見て「うふふ」と笑い合い、目配せをし、友人のほうは気を利かせたように立ち去り、そして母さんはしゃべり倒した。
 家に連れてきたんじゃなくてこの辺りの散策だよとか、お昼は今まさに母さんが出てきたその店で食べるつもりだったんだけどとか、言いたいことは色々あったけれど、母さんは嬉々として歩き出してしまったし、武内さんもニコニコしてそれにつづいたから、仕方なく俺も後について歩いた。