部活の後、浅枝が戻りそうな時間を見計らって再び生徒会室に戻ってきた。
そこに、ちょうど浅枝もやってきて、「先生にも全部配り終わりました」
「おー、ありがとう」
「最初の原本の方ですけど、会長さんの専用ファイルに綴じておきますね。いつものように、これは確認用と言う事で」
「うん」
会長専用ファイルは来期に大活躍する代物だ。何か揉め事が起こった時、「去年、先輩の間でこういう話になったから」と、説得するために存在する最終兵器である。
浅枝が、いつもファイル作業をする棚上を避けて、わざわざ遠くの椅子の上まで持ち運んでファイルを開き始めた。まるで、こっそり終わらせるみたいに……敢えて、俺に背中を向けているように見えるのは気のせいか。こうなってくると、さっきの妙に説明的な台詞の言い回しも気になってきて、俺は、浅枝に収められた側から、そのファイルを引き抜いた。
「ひッ!」
まだ開いてもいないのに、そんなチャラい反応を見せられたとあっては、素通りできない。
開くと、その原本には会長印ではなく、永田さんの直筆でサインがあった。
「会長に見せたの?」
「……いいえ。あ、はい。あ、あ、あの」
「そう」 表情を読まれないように、俺は浅枝に背中を向けた。
「俺が頼りなくて、ごめんな」
1年生ですら、これか。
俺の〝大丈夫〟は通用しなかった。俺は、信用されていない。
会長を信用していない、頼った事すらない、これはその報いかもしれない。
俺には会長なんて出来ない。元からやる気はなかったとはいえ、これで芯から覚悟が決まった。
絶対やらない。……やるもんか。
「せ、先輩、すみません。ごごごごめんなさい。おおお怒らないで下さいっ」
「怒ってないけど」 今は口先で笑って見せる。
「でも違うんです!会長がチェックとか、そういうのは一切無かったですから」
せめて永田会長には真っ先に渡そうと思って、それだけなんです……とか言ってる。
永田会長には、真っ先に1部を。
先生に渡る議事録コピーは、俺が言った通り会長印を押して。
浅枝は悩んだ結果、どちらにとっても曖昧な、グレーな解決を選択したという事らしい。
思いやりと不信を天秤に掛けられて中途半端に誤魔化されるより、バッサリやってくれた方が、俺の心は幾分……どうせ折れるんだから。
俺は、静かにファイルを戻した。
聞けば……というか、浅枝が勝手に話す事には。

永田会長が仲間と一緒に進路指導室に居た所を、浅枝は訪ねたらしい。
「これって沢村も見たんだよね?」と、永田会長から早速突っ込まれて、「はい」と頷く。
そこから、永田会長は碌にチェックもせずサインをした(!)。
ただ受け取ってもらえたらそれで良かったのに、勢いサインされてしまうなんて。これじゃ破棄も出来ない。
「これ、いつものように会長ファイルに留めといてくれる?」
浅枝は1人で青くなっていた。
「来年、沢村会長様がこれを使うんだけどさ」
永田会長は笑いながら、隣の仲間に見せた。
その仲間はプッと吹き出して、「マジか。可愛い、ちょーウケる」

「ウケる?可愛い?」
ここにきて、妙に聞き捨てならない気がする。
「何ですか?って、すぐ訊いたんですけど、平気平気って教えてもらえませんでした」
文章の中味にウケて?俺が会長様と持ち上げられた事にウケて?可愛いって何だ?
「何度も見直したんですけど、間違ってないです」
俺はまたファイルを引き抜くと、そのウケるらしい何かを探して隈なく調べた。
上から下まで。隅から隅まで……次第に、額がカーッと熱くなってくる。
……俺の名前が〝幼児〟になってる。
漢字の選択、はっきり間違ってるし。思えば、文章以外は、雛型をコピーしただけ。だからという訳じゃないが、最初から俺のチェックの除外にあった。迂闊だったな。〝用事〟じゃなくてよかったよかった、とも言えない。確かに、可愛い。……やっちまったな。
「あたし何か、やっちゃいましたか?」と、浅枝が動揺している。
「いや。見たけど……大丈夫だったよ」
「そうですか。はぁー、よかったです」
実際、俺もバッサリ出来ない人間である。
とりあえず浅枝に気付かれないように、普段を装って、無関係な過去の議事録にまで目を通す羽目になった。ついでに過去を遡って確かめた所、どれも間違っていない。この、最新の議事録の俺の名前を除いて。
浅枝がうっかり何か打ちこんで?上から打ち直して?そのまま間違いに気付かず?作り直す?紙が勿体ないぞ。もう先生には配ってしまった。
いつか誰かが開いて、弟のバカに都合良く(悪く?)見つかって、鬼の首でも取ったみたいに突っ込まれてイジられて……確かにウケるだろうな。頼むから引っ掛かってくれ~と、いつかのクラスメートのように、気付かれないまま通り過ぎる事をただ祈るしかない。
「会長さんの言い方だと、沢村先輩が次期会長って事ですよね」
不意に、浅枝が投げ掛ける。機嫌取り、とは考え過ぎか。
「それは飛びすぎだよ」
敢えて〝会長〟という肩書をくっ付けて笑いのネタに弾みを付けただけ。ちょっと何か教えてやっただけで〝先生〟と言われるのと同じだ。笑われてしまえ!とばかりに永田会長に誤字を見逃された事はどう解釈すればいいのかと、つい悪い方に悪い方に考えてしまう。
てゆうか、俺は会長はやらないんだし。やらないんだから。
浅枝が、何やら急いで荷物をまとめている様子なので聞けば、これから誰かと食事だという。
石原とデートでもするのかと冷やかしたら、
「だーかーらー、もう!違いますってば」
ヒヤリと来る言い回しで全否定した後、
「これから右川先輩のお店に行くんですよ。単語教えたお礼にゴハンおごるって言われて」
って、事は〝右川亭〟か。さっきの水場では、そんな話をしたらしい。
「どうしよう」と、会長の直筆サイン議事録を片手に迷っていた所、ちょうど水場で洗い物をしている右川を見掛けて、「沢村先輩がこれを見たら、あたし怒られるかもしれません」と、思い詰めた浅枝は、相談を持ちかけたらしい。
〝これは右川先輩にそうしろって脅されて、仕方なく従いました~って言っとけばいいよ〟
そんな成り行きを、俺は黙って聞いていた。
あのオンナは何なんだ。一体何を考えているのか。
俺とは口を利かないとか、どうでもいいグループの女子に祭り上げろとか、そんな事を言いながら、まるで俺が、浅枝に指図するな!と責め入るのを期待するかのような口ぶりである。あるいは、俺が金輪際近づいて来ないと確信して、浅枝に向かう非難を自分の身に被ったつもりなのか。
カッコつけやがって。
「あのクソ女。どこまで人を馬鹿にして」
浅枝には、当然といえば当然、俺の言葉の真意は伝わらなかった。
そして真実は闇の中。
……に、してたまるもんか!
こうなったら。