2年になって当然というか、クラスも新しく変わった。
俺のように、生徒会であちこちに顔をだしていると、校内はまるでカオス。どいつが何組だとか正直分からなくなってくる。普段、あんまり交流しない女子など見覚えだけはあっても組までは、もうさっぱり。ただ、今年も同じような仲間が自分の周りに集まって、頼んだり頼まれたりしながらの続きのクラス風景が、やっぱり同じようにそこにあった。
違うといえば、2年になると選択授業が始まる。理数系か文系か、それぐらい決めねーとこっちはもう知らねーぞ、という学校からの脅迫だ。
俺は理数系を選択。選択授業の数学は、教室を苦しくも5組に移動することになる。先生は去年、担任だった女の吉森先生で、席は空いている所を、もうどこでも自由に座っていいらしい。割と中央寄りにノリの席があって、その隣、窓際が空いているというので、そこに落ち着いた。前じゃなければ、どこでもいいや。
授業が始まる1分前。しかし、ここは何度来ても。
「汚ぇな」
ここは、2年5組。
永田会長の弟でバスケ部、大馬鹿者、永田ヒロトが暴れる、2年5組。それを、バレー部所属で歩く皮肉メガネの黒川アツシが冷静に叩いて黙らせる、2年5組。
それを、「永田にいい相方が出来てよかったな」と穏やかに見つめ、「また右川さんと同じクラスになったよ」と嬉しそうに笑い、その昔「右川さん、可愛いと思ったりするけどな」と堂々とそのマニアぶりを晒した唯一の男子、バレー部で俺の1番の友達、そんな井川ノリユキという男子が居る、2年5組。
そして、珍獣、右川カズミの居る、2年5組。
このラインナップ。埃っぽさに加えて、妙な圧迫感を感じるのは俺だけか。
永田が教室を出ていくようだ。どうも別の選択授業を取っているらしい。
「さっさと行けばいいのに」
その時、1度閉じた教室のドアが大きな音をたてて、また開いた。こうやって埃が埃を呼ぶのか。
右川カズミ、だった。
やって来る途中で仲間にちゃちゃを入れられ、「刺さる刺さるぅ♪」と嬉しそうに困ってみせながら足をもつれさせ、黒川の前の席にドスン!と座った。
「右川さんも、吉森の選択?」
ノリの問い掛けに、まさかと思うが。
「うん、そうだよ。よろくしねーん」
神様が自分を見離したと確信した瞬間だった。もう頭を抱えたくなる。
別クラスだとホッと胸をなでおろしたのも束の間、ここへきて選択授業が一緒とは。嫌でも週に3日は右川と顔を合わせなくてはならない。右川は気付いているのか居ないのか、いや気付かない筈は無いのに、ノリの向こう俺の存在には全くお構いなしで1度も目を合わせようとしなかった。くるりと振り返り、真後ろの黒川に向けて、「黒ちゃん、よろくし♪」と、ヘラヘラ笑う。
「黒ちゃんとか言うな。馴れ馴れしい。ツブす」
情け容赦ない。
「仲良くしようよ♪せっかくクラスも同じなんだからさ」
「先に言っとく。近寄るな。ツブす」
「近寄るなって言ってもさ、あたし元々ここの席だし。地味に近くね?」
「これが最後だ。ツブす」
どうにも噛み合わない2人だった。「うわ、真っ黒。感じわるくない?」
右川はノリに同意を求める。黒川に聞こえるように。
そして、そこで初めて俺に気付いたみたいに、
「うわ。何か寒気がするぅぅぅ。ね、ノリくんも一緒に席移動しない?」
「えええ?」
ノリが困っている様子なので、「ノリを巻き込むな。おまえが選択ごと移動すりゃいいだろ」と、俺が代わりに応戦。
「わ!巨人だ♪背が高いだけの壁に生意気な口まで付いてるぅぅぅー」
ムッとしたそこに、吉森先生が入って来た。
突然、黒川がゲラゲラと笑いだす。それがあんまり大きな声で、それに驚いて、ノリは持っていたスマホを落としてしまった。
「ツブ子、最高!それ面白ぇー。オレ気に入ったし」
まるで自分の存在をひけらかすみたいに。黒川にしては珍しい大声で、手を叩いて大ウケだった。
「いいから。ここに居ろよ」
さっきと打って変わって、陽気に、右川に元の席を勧める。劇的な和解の瞬間とも思えたが、当の右川が、「急に引っくり返んないでよ。気持ちの悪い」と毒を吐いて、黒川を煙に巻いた。
「空気が地獄的に悪いんで、前に移動しまーっす♪」
さっさとノリの前の席に移動してしまった。
「大して変わんないだろが」
ついボソッと出てしまう。「てゆうか、おまえは前に行けよ。チビらしく」
右川はノリの前席、結果的に俺の斜め前に来てしまって……こっちが移動したくなってきた。一連のやり取りを見ていた吉森先生は、「まだ席替えしたばっかでしょう」と溜め息をつく。
「だーかーらー、元からここ。あそこ嫌だ。ここ決定!根が生えたっと♪」
吉森先生は教卓に貼ってある席替え表を見て、「しょうがないなぁ」と、何やら書きこんでいる。
先生に迷惑を掛けてまで要求を捻じ込む。こういう辺りが幼稚の極みだ。ルールを舐めている。
前の方から、プリントが回って来た。
「右川さん、僕が当たったら教えてね」
振り返るついでに、右川は気前よく、「らす♪」と応じる。
「頼りにしてるからね」と、ノリは肩を叩いて持ち上げているが、それは数学だけの話だ。中間も期末も、右川は数学以外は追試をとる。それで補習を余儀なくされている。なのに先生にはタメ口をきく。それどころか、勉強を教えてやった俺には恩をアダで返す。頭突きまで喰らわせて。
そして、1年前……俺は右川に、極上の屈辱を与えた。
〝唇〟という名の屈辱を!
思い出したくもない。特別な感情などこれっぽっちもないのに、思いがけずヤッてしまって。その頃は、ちゃんと付き合っている彼女が居たにも関わらず、だ。
激しく後悔。深い罪悪感。その事実は晒されないまま彼女は転校。その彼女とは自然消滅。だがあの日の出来事は消えず忘れず、現在に持ち越されている。当の右川がそれを表沙汰にする意思はないように見えるものの、こっちはひたすら神経をすり減らす毎日だった。
〝右川の会〟と呼ばれる、くだらない雑談は相変わらず存在しているが、今はもう風前の灯。
だが、2年続けて右川と同じクラスだというノリが、事或るごとに、こっちが頼みもしないのに、右川の現状をリアルタイムで知らせてくるのだから、俺にとっては文字通り拷問だ。
ふと見ると、小さな紙が真横を行き交っている。ノリが右川と、何やらこそこそ筆談を始めたらしい。俺の目線に気付いたノリが、「これ。読んでよ」と、笑いながらその紙を寄越した。
〝黒ちゃんてさ、吉森先生に気があるらしいよ。マジかな〟
それは以前、何となく噂に聞いた事がある。とはいえ、真偽は定かではない。ていうか、これは本当に右川の字なのか。そうとは信じられないほど、割りとまともな、ほっそりした文字である。
ノリと右川は、顔を見合わせてムムムと笑い合った。
「仲良しだな、相変わらず。程々にしろよ。彼女にチクるぞ」
ノリには何度も釘を刺す。右川には言葉を掛けるのも癪なので、〝自重しろよ。ノリには彼女が居るんだからな〟と紙に裏書きして放り投げた。
それを見てチッと舌打ちすると、ノリにその紙を渡して見せている。
「僕らが、あんまり仲良いから、洋士がヤキモチ妬いてんだよな」
さすがにムッときた。
それをどう誤解したのか、聞いてないフリで聞いていたらしい黒川が、
「朝比奈と別れて、そろそろ1年か。そりゃ立ち直る。それで次がチビ。終わってるな、おまえ」
「勘違いすんな」
そして、その名前をさらりと出すな。そこは誰にも侵入を許さない、自分だけの聖域である。
「お前らが付き合ったとして、オレには合成にしか見えないけどな」
ノリがうっかり吹き出して、俺にも、そして右川にも睨まれて黙った。
右川にとって、そこは無視する訳にもいかないらしい。
「だーかーらー、口の付いた壁なんかと合成もCGも有り得ないから」
〝口の付いた壁〟
おまえは頭の中で、俺の存在を、そういう事にして紛らわせているのか。言葉に出してイジれる程、もう何でもない事なんだと……こっちがそれほど怯える必要は無いのかもしれないと思っていいかな。
「壁とは言っても、ちゃんと付いてるのか……口が」
試しに呟いてみたら右川はキッ!と反応して、「調子に乗るな。この、口だけ変態男!」って、まだ何でも無くないじゃないか!同時に、「そこ!」と、何故か俺だけが先生に注意された。納得いかない。
教室の入口が開いて、「すみません。遅れました」
男子が1人、静かに入って来た。
先生を始め、周りの意識が一瞬そいつに気を取られて静まる。
男子は、先生に丁寧にお辞儀をして、既に席に着いている他の生徒を見回し、その口元が一瞬、不埒に歪んだような気がしたが、それは定かではない。
〝重森ヒロム〟