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保健室。

女医、霖 理香(ながめ りこう)はモーニングコーヒーを飲みながら思考する。

(私はなんで生きているんだろう。ツマラナイ。毎日毎日、同じことばかり。
生徒が来て、適当な治療を施し、帰す。毎日毎日、代わり映えのない退屈な日常。
生きている意味なんて……あるのかしら……)


理香はネガティブだ。学校の生徒からは『醜悪な美女』と噂される。
濡れ羽色の美しい髪に純白の白衣、身長177cmという高身長にスラリと長い手足。
どう低く見積もっても、美女の領域に属するであろう彼女。
理香が「醜悪」と形容されるのは『目』のせいだ。大きな隈に死んだような瞳、常に周りの人間を恨めしそうにしているその雰囲気が彼女を『醜悪』に錯覚させる。
生まれつきのネガティブ思考が、理香の雰囲気を劣悪で醜悪で害悪とさせているのだ。

「ついたぁぁぁぁ~!!!!!!!!!」
突然、保健室の扉が開かれる。普通の人間、それも女性であるのならなおさらに、突然の来客に驚くはずなのだが、理香の表情は変わらない。
彼女は驚かない。
彼女の信念の一つは「いつ死んでもいい」だ。突然空から隕石が降ってきて死んでもいい。急に車が保健室に突っ込んできて死んでもいい。
 究極のネガティブ思考。それゆえに、女生徒と不良生徒が朝も早い時間、かつ保健室の扉をけ破らんが如くに来訪してきても、驚かない。
 
 「霖先生!おはようございます!いきなりですが、彼を診てやってください!」

  結局、 京は腕をつかまれたまま、 背中を下に向けバック走で女生徒に引きずられるように引っ張られた状態で保健室まで連れてこられてしまったのだった。
  掴まれた腕を振り払おうと思えば、京にとって造作もないことだ。
 この女生徒が現れてから学校まで数百メートルもの距離で彼女の手を振り払わなかったのは京だからこそ、といえるだろう。
 つまりは彼の性格によるためだった。

「おはようございます。白露さん。また、怪我をした生徒を連れてきたのね」

 保険医の教員らしく、まずはあいさつを交わす理香。京いわく風紀委員──女生徒はどうやらシラツユという名前らしい。
 濡れ羽色の髪を揺らし、 ゆったりと椅子から立ち上がる理香。

「それで…金髪の彼が車に轢かれたってことでいいのね?」
「はい!」
「それじゃ、少し診てみるから、白露さんは教室に戻っていいわよ」

話を進める女生徒 シラツユ と保険医 理香の一方で。 
──……俺のことを一切無視して話が進んでやがるなァ

 と大人しくしている。
 未だに掴まれた腕を離されていない京は、特に気にもせず話を聞く。

──ここまで来たら、面倒だがこいつらに従ったほうが早く済みそうだなァ。まぁ授業に間に合えばどうでもいいかァ……。

 「……はい。霖先生。あとはよろしくお願いします」

 なぜか少し、一瞬だけ戸惑ったような返事だった。
 シラツユとよばれた女生徒は一礼をしたあと、去って行った

──風紀委員……白露?とかいう名前なのかァ。…………まァ、もう会うこともないだろうしィどうでもいいかァ。あとなんかちょっと眠いしィ

 未だに朝の眠気を引きづっている京であった。
女生徒、 『白露』という人物についての興味はすでにほとんどなくなっていた。
それより早く教室に行きたいんだけど? という心持にすらなっている。

「じゃ、金髪の……たしか、2年2組の右月 京くんだったわね」

 いきなり、初対面のはずである保険医、理香に自分の名前をいいあてられた。

 ──んん?この先生とは初対面なはずだが、なんで俺のこと知ってんだァ?

 右目を釣り上げて怪訝な顔をする京。
 一介の生徒である京(金髪で目つきは悪い不良だが)の名前なんて、 いくら教師とはいえすぐに出てくるものでもないだろう。
 逆に京からは『この有名な』保険医 霖 理香の存在は知っているのだが。

「簡単なことよ。私はすべての生徒の顔、名前、生年月日と性格、血液型まで完璧に覚えているわ」

 ──こんどは心を読まれた。なんだコイツは。 魔女か。 美女ではあるが。

「魔女なんてひどいわね。ちょっと心理学に長けているだけよ」

──なるほどなァ、そういうことか。

 心理学、という言葉に京はピンとくるものがあった。

「微表情、ってやつかァ。霖先生ェ」
「あら、知っているのね。さすがは学年トップクラスの成績を誇る京くんだわ」

 微表情──ほんのわずかな表情の変化で相手の嘘や真実、または心理状況なんかを読み取ることができるテクニックだ。

──だが、考えていることまで具体的に読み取れるほどの精度はねェはずだァ…といことは、この先生は推理で言い当てたってことかァ?

「……その顔はもう答えにたどりついているようね。そうよ。微表情で読み取った事をもとに相手の心理状況を把握して、あとはその人の性格さえ知っていればある程度の思考は推理できるわ」

「なるほどねェ。さすがは保健の先生、霖 理香先生だァ」
 カカカッと笑う京。
 京も噂で彼女のことを聞いたことはある。
曰く、醜悪な美女。
曰く、保健の王権。
曰く、ドラえもん。

──そういえば、ドラえもんってどういうことなんだァ?醜悪な美女はみりゃわかる。保険の王権は、微表情を読み解く能力と推理力でどんな悩みも、問題も霧散させてしまうことで起こる、まるで王様に命令されたかのように感じることからだろう。だが、ドラえもんって…なんだァ?霖先生は四次元ポケットでも持っているのかァ?

「ありがとう、といっておくわ。それじゃ、一応形だけでも検査するから全裸になって」
「全裸になる意味が分からんだろうがァ。 上だけだろ普通」
「ふふふふ。冗談よ。上の服をまくり上げて。 無いとは思うけど、 内臓の様子がおかしいといけないわ。 一応、 触診程度はさせてもらうわね」

なぜ、このタイミングで面白くもない冗談を言ったのか。
それも自分で言った冗談に不気味に笑うその姿。それもまた彼女が『醜悪な美女』と呼ばれる所以なのだろう。
 いわれるがままに、京は服をまくり上げる。

「先生よォ。車にはねられたのは事実だが、別に怪我なんてしてねェよ。着地したから」
「……でしょうね。体育の先生からあなたの運動神経は常軌を逸している、完全に異常だって聞いているわ。あなたに並ぶのは2年1組の君枝 秋くんくらいだって」

両者ともどんなスポーツでも全国レベルを優に超えているって話よ、と理香は付け足した。

──『完全なる異常』ねェ…なかなか的を射た表現するじゃねェかあの体育教師。

 「ああ、そうかよ。まァそれならさっさとこの不必要な検査を終えたいもんだなァ?」

ギロリ、と軽く睨み付ける京。
別に怒っているわけではないが、 不良風に装っている以上は『それっぽく』あろうと。

 「……ええ。そうね。車の件に関してはもういいわ。それよりも気になることがあるんだけど……」

 まくり上げた京の体を一目見た理香は
 黒々と濁った理香の目がさらに醜悪な色になる。
 上目使いで下から京の目をじっと見る理香。

「……あなた、拷問にでもあったの? この『夥しい数の古傷』は一体何?」

 ──ああ。そうか。そういや先生は俺の身体を初めて見るんだったなァ……まァ別に隠すほどのことでもねェし、話してやるか。

 京の身体にある夥しい数の古傷。
 それは上半身だけでなく顔以外のすべてにまんべんなく、 重なり合うように。
 刺し傷、 切り傷、 火傷。
 あらゆる傷が京の身体には刻み込まれている。

 そして彼は何でもないような口ぶりで自身の過去を理香に話し始めた。