ねえ、こっちを向いて?

 自転車を駐輪場に停め、籠に積めたケーキと花を掴む。
 青年は坂本結城という。男なのだが、甘いものが好きで手先が器用。今はパティシエを目指している。顔は悪くはない。ただ、少し思考がネガティブによっている。
 結城は引き戸式のドアをギッと開き、中に足を踏み入れる。
ーどうみたって、ただのおんぼろアパートなんだよなぁ。
建物に足を踏み入れて、しみじみ思う。
 結城たちの住む町は、はっきり言って田舎だ。バスは1日3本。電車は二時間おき。交通手段に困る。また田舎のため、建物に新しさは見られない。都会の子供たちからすれば、「祖父母の家」という印象だろう。病院も同様で、都会と比べてしまえばただの廃ビル。いや、ビルにすら見られないかもしれない。アパートという表現もあながち間違いではないだろう。
 結城が病院の廊下を踏むと、ギシギシと鳴る。いい加減改修工事しろよ、と常々思う。
 少女のいる病室へ向かうと、廊下にその子が仁王立ちしていた。顔が明らかに怒っている。
「…遅いじゃん。何してたの?」
拗ねたような口ぶりで少女ことルナは言う。
「今日は部活があったんだ」
結城がいうと、「ふうん」と納得してないというように腕を組んだ。
「…ごめんね」
と謝ると、「別に」と素っ気なく返された。
 ルナは入院中の少女だ。名前を聞いても教えてはくれなかったが、ルナとだけ答えた。だから未だに彼女の本名を知らない。ただ、髪の毛が限りなく金に近い茶色のため、ハーフかクォーターだろうと推測している。
「…ケーキ持ってきたけど、食べないかな?」
呟くようにいうと、「何よ。食べないなんていってないじゃない」と怒られた。
「…別に部活なんてでていいのよ。ただ私が……。」
かすれる声で、結城にはほとんど聞こえなかった。
「なに?」
と聞くと、ルナは首を振って「何でもない」と言った。
「ねえ、ルナは本当は何て言うの?」
突然問われ、ルナは目を見開く。
「ルナって言ってるじゃない」
少し気を悪くしたようで、口が曲がる。
「名字とか、知らないじゃん」
結城がいうと、眉を寄せ、くってかかる。
「別になんでもよくない?それともなに?この家の人とはしたしくしてゃだめだとでも言われてるの?ゆーきはゆーき。私はルナ。何がおかしいのよ」
ふいっとそっぽを向く彼女の横顔は、どこか少し寂しそうだった。
 結城は空気がこれ以上悪くなるのを避けることにした。
「…ねえ、片仮名で書くの?」
「……まだ聞くの?」
ルナがイライラしだしたのが伝わる。
 名前を聞くだけでそんなに怒るのか。
 少し呆れたが、もしかしたら自分の名前がコンプレックスなのかもしれないと思い直すことにした。
「ごめん」と素直に謝り、ケーキの入った箱を渡す。