「行ってきます」
まだ寝ぼけている母に呟く
「ん、気いつけて」
部屋の奥から眠そうなそれでいて凜とした声が響いてくる。その声を聞いて家を出る。
耳にイヤホンをはめバス停へと向かう
そこまでが私の習慣

あと3分でバスが来る
少し焦り走るが私がバス停に着く頃にはバスは私に背を向け学校の方向へと走り出していた。
今の走りでかいた汗を制服が吸い取り肌に張り付く。
うざったいな
「明日はもう少し準備を急ぐかな」
ベンチに腰掛け、鞄から携帯を取り出す。
カチカチ音を鳴らしながら友達にメールを送る。
ーごめん!遅刻するから先生に伝えて!
ピロリン
ー了解!
直ぐに返事がきた
スマホをしまい文庫本を広げる
少年が大人になるまでに見た世界、人との出会いで感じたことを綴ったそんな話。
比較的理解しやすいこの小説で1つだけ分からないところがある。恋愛感情だ。
どうして相手のためにそこまでするのか、
泣くほど辛いなら恋なんてしなければいい
そもそも恋ってどんな感情なの?
恋をしたことのない私には分からないやと考えてるうちに、手汗で紙がふやけてきた。
仕方なく文庫本を閉じ鞄に戻す。
「あれー見かけない子だ!君もバス乗り過ごしちゃった?」
戯けたようなそんな声が頭上から聞こえた
後ろを振り向けばそこにはまだ中学生くらいの少年と呼んでもいいのか分からないがまぁ、それくらいの子が立っていた。
少し周りをキョロキョロ見て他の人がいないか確認する
私に話しかけてるよね?
「うん、乗り過ごしたの。しょ、君も?」
少年と言いそうになった
「俺はいつもこのくらいの時間に乗るの!」
良かった、私に話しかけてるみたい。
何が面白いのか分からないけどそれくらいの子はニカニカ笑いながら答えた。
「とりあえず座りなよ」
自分の隣を指差してそう促した。
汗が首筋をつぅっと流れていった
私の横に座ったそれくらいの子から柔軟剤のいい匂いがする。
「あれ?もしかして高校生?知らなかったからタメ口で話しちゃったけど、敬語使った方がいい?」
戯けた話し方はこの子特有のものなんだろうな。
「うん、高校生だよ。だからって敬語使わなくていいよ、敬語嫌いだし」
そうやりとりしてる間も汗は流れ続ける
「お!クールだな!俺の名前は菜月、ヨロシクな!」
暑さを感じさせない名前
なつき、口の中で反芻させる。
「可愛い名前だね。どう書くの?」
額をつたう汗を拭いながら尋ねる
「菜の花の菜にお月様の月!てかそんな
男勝りな話し方でハンカチにくまさん模様って、あんた可愛いな!」
あ、あんたなんて呼んじゃった〜〜
大して悪びれずに、そのくらいの子あらため菜月はニカニカ笑っていた。
「お、男勝りは関係ないでしょ!可愛ものが好きなんだよ!それとあんたでいいよ。私も菜月って呼び捨てで呼ぶからね!」
可愛いなんて言うからちょっと照れたじゃないの。
「照れてる〜〜!!可愛ものが好きならさ、いいものあげるよ!」
しっかり見透かされていた。

菜月はゴソゴソとポケットから猫のキーホルダーを取り出した。
宇宙柄の猫にホワイトのビーズ、シンプルな作りだ。
「じゃーん!これ俺が作っんだ!可愛いだろ?」
私はそれを手のひらで受け取る。
「・・・きゃー!!え?菜月、あんたが作ったのか!可愛いすぎ!本当に私にあげてもいいのか?もう返さないよ?すごいよ!!菜月の手は魔法の手みたいだ」
最後の方はウットリとしてしまった。
やってしまった
そう思うと一気に顔が赤くなるのが分かる
見られたくなくて下を向くが、それは菜月の
まだ出来上がってない拙い両手によって阻止される。そして顔を勢い良く持ち上げれたかと思うと、鼻のつくギリギリのところに菜月の顔があった。
息がかかる
「なぁ、本当にそう思うか?!そんな素直に喜んでくれたのあんたが初めてだ!俺今までオネェかよってずっと馬鹿にされてたんだ。だから今すげぇ嬉しい!!俺、将来ハンドメイドで飯食っていきたいんだ」
さっきの戯けたとは打って変わって強い眼差で私の目をまっすぐに見ながらそう言った。

人の感覚はそれぞれと良く言うが
確かにその通りだ。
小説の中だけじゃ恋がどんなものかなんて分からなかったが、それが説明できないものだからだと今、分かったような気がする。

間近で見た菜月の顔、耳元で響くその声にときめいたのだ。
何より一番心を打たれたのはニキビを潰した痕の残る顔をクシャッとして目尻に皺を寄せて笑うその笑顔にだ。
そんな笑い方も来たんだね、なんて年上見たく思ってみた。
私はきっと今この瞬間、菜月に恋におちんだ。
暫く黙ったままの私にまた菜月が声をかけた。
「ご、ごめん。つい興奮して
本当・・・い、いきなりこんなこと言われても困るよな。あは、はは」
恐々とした声音に、少し震えだした両手をそっと放し、私との距離を開ける。
「う、ううん!大丈夫!ビックリしただけ!」
だからと続けようとしたときに私の乗るバスが走りこんで来た。
「あ、もしかして、あんたのバス?俺違うから、早く乗らないと!」
そのわざとらしく振る舞った明るさにイラっとした。
今日話したばかりだけど気を使う真似なんてしやがって、口には出さなかったがその後の口調に出てしまった。
「言われなくても乗るよ!後、明日7時にここで待ち合わせよ!いいね?約束だからね!」
そう早口でまくし立てると菜月の返事も聞かずにバスに乗り込んだ。
後頭部座席に座り菜月を見てみれば、間抜けな顔で半分だけ腰を浮かして固まっていた。
思わず吹き出してしまった。
私が見ていることに気づいた菜月は
ほんのわずかな間を空けて口パクで
((また明日ね))
私の恋心を射止めた笑顔で手を振っている。

私も顔の前で手を振る
昔友達に顔の前で手を振ると可愛く見えると聞いたからだ。
今の私は可愛く見えただろうか?
それにしてもあの笑顔可愛かったなとか明日も話せる、何を話そっか?とか、そんなことを考えてる私を乗せてバスは学校へと発進した。

ガタゴト揺れるバスで文庫本を広げる
今なら文章の彼の気持ちが少し分かる気がする。