その日は、蝉の声が煩い、蒸し暑い日だった。

私は、ある決心をして学校に向かった。

それは、勉強を真面目にするとか、好きな人に告白するとか、そういった明るいものではない。

わたしは、今日、死ぬ。

この日のために、何度も何度も悩んだ。

どこでどういう死に方をしよう。

遺書はどうしようか。

死ねなかったらどうしよう。

そう簡単に死ぬな、思いとどまれ。

自分の命を大切にしろ。

そう言う人もいると思う。

でも、それは、幸せな人が言えることだ。

人は誰しも多少の悩みとか不安の数々は持っているだろう。

でも、それを乗り越えた先に幸せがある訳で。

そもそも、苦しい時には気づかないけど、家族の優しさや、友達、先生の支えがある。

それはとても恵まれていることなのではないか。

私は、違う。

それも苦しい時だから?

…私はそうは思えない。

学校ではいじめ。

先生は見て見ぬ振り。

母は毎日男を家に連れ込んでいる。

父は仕事から帰って来ない。

姉は母の影響からか、変わってしまった。

もう、私にはなんの希望もない。

「あんたがいるから、親もそうなったんだよ」

「ほんと、迷惑。あんた生きてるだけで迷惑だよ」

「お前がもっとしっかりしていればお姉ちゃんも違っただろうな」

「いじめられる方にも何か原因があるのよ。大事にしないで。これはよくあることなのよ」

…辛い。何もかも。

諦めはとっくについている。

私はそういう人間に産まれたんだもの。

きっと、前世で悪いことをしたんだね。

ふらっとたどり着いたのは、昔住んでいたマンションの屋上。

ここで私の思い出は途切れている。

ここで過ごした日々はとても楽しかった。

母は毎日手料理を作ってくれて、父はイベントがある度に会社帰りに何か買ってきてくれたし、姉もよく私を抱きしめてくれた。

…お母さんの料理、最期に食べたかったな。

…お父さんと最期に話したかったな。

…お姉ちゃんに最期に抱きしめてもらいたかったな。

屋上の縁に立った時、思い出とともに後悔の念が押し寄せる。

人間は、死の淵にたつと、こうも簡単に決意が折れてしまうものなのか。

制服の胸ポケットから白い封筒を取り出す。

私が最期に書いた手紙。

家族は読んでくれるかな。

学校は何か今後の対策を考えてくれるかな。

クラスメイトは少しでも後悔するかな。

その時、初めて『死』が誇らしいものに感じた。

私が死ねば、みんなが幸せになる。

私の死に、たくさんの幸せが絡みついている。

不思議と、笑がこぼれ、涙が頬を伝った。

これは、なんだろう。

悲しいのかな、いや、嬉しいのか?

どうも、私は壊れてしまったようだ。

覚悟は決まった。

下を見下ろすと、駐車場が見える。

もう出勤した人がほとんとで、車はない。

ひとつ、大きく深呼吸をした。

決意が変わらぬうちに。

少し膝をまげ、弾みをつけた。

そして

足が地面から離れた。

ふわりと身体が浮く。

…空を、飛んでるみたい。

目を閉じて、風の流れを感じる。

死ぬ間際にこんなことを考えるのはおかしいかもしれないが、風って、凄いな、と思った。

自分の身体が風を引き裂いてる感じ。

それでいて、風が少しだけ自分を持ち上げる感じ。

こんなことに今更気づくのか。

この16年間、わたしは何を見てきたのかな。

その瞬間、大きな衝撃が身体を襲った。

私は暗転していく視界の中、

走馬灯なんて、あるわけないか

なんて、どうでもいいことを考えていた。