その頃、武田家は大きく揺れていた。

「殿!あの織田信長自ら出陣しておるのですぞ!?勝てませぬ!」

武田四名臣の一人、山県昌景が声を荒らげる。他の四名臣である馬場信春と内藤昌秀も顔を渋くしながら昌景に賛同していた。

勝頼は迷っていた。
父、信玄ならどうしただろうか。そればかり頭にちらついては、その考えを追い出そうとする。


鳥居強右衛門が援軍が来ると言ったせいで、長篠城は落城せず鉄砲に攻めあぐね、結局二日経ってしまった。

すると織田、徳川軍は四万近くの兵を率いて来てしまった。長篠城さえ落とせれば今回はそれで良かったのに、思わぬ大軍とやり合う事になってしまった。

「撤退のご命令をお出しくだされ…。」

昌景から発せられたその言葉。
撤退の二文字は、勝頼の頭の中で父に負けるということだと考えてしまっていた。
父、信玄ならこの戦負けるわけ無いのだろうな。

そう思ってしまった。

それは生まれてから何度も父、信玄と比べられて生きてきた勝頼にとって、耐え難いものだった。

「迎え…討つ。」

そう静かに言い放つ勝頼は当主としての立場よりも、ただ親に対する劣等感を払拭したいだけの子の立場になっていた。