第三話 思い出させないで

「…っ、ごめん楓くん!」

診療時間の終わったロビーに瑠衣の声が響き渡る

当然人はおらず、広いロビーには楓と瑠衣だけだった

「瑠衣!…そんなに急がなくて良かったのに」

慌てて走ってきた瑠衣を見て笑う楓

「ええと…その…何か、用事でもあった?」

息を整えながら瑠衣が言う

「うん。…瑠衣、今日は電車?」

「電車!」

「それじゃあ僕の車で送るよ。乗っていかない?」

「え!わ、悪いよ!ひとりで帰れるから大丈夫だよ?!」

慌てて断るが、実際いまの瑠衣はひとりで帰れる心境では無かった

「…まあまあ今日くらい、いいんじゃない?
たまには甘えたってばち当たんないよ」

そういうと楓は瑠衣の手を引き、病院を出る

「…っ、!!」

突然楓に手をとられた瑠衣は今度は嬉しくてパニックになり、自分でも分かるほど顔が赤くなっていった

丁度夕暮れ時だったため、楓には幸い気づかれていないようだった

「着いたついた!ささ、乗って乗って♪」

助手席に瑠衣を乗せた楓は自分も運転席へと乗る

「…あのさ」

車内に入ると、楓の声色が一気に変わった

「瑠衣、今日何かあった?」

「え…」

まっすぐ彼に見つめられ、困惑する瑠衣

「…な、何も無いよ?私は至って元気だし!」

そう言って笑顔を見せる

…が、

いつもの楓とは違う反応を見せた

いつもならニコニコして「頑張れ〜!」とか、
「無理は禁物だからね〜」とそれで終わる事がほとんどで。

それなのに

いま、瑠衣の目の前にいる楓はとても悲しそうな目をしていた

「…瑠衣、俺と二人の時まで無理するの?
こういう時くらい、甘えてくれてもいいんじゃない?」

ドキッ、とした

普段自分の事を“僕”と呼ぶ楓が

瑠衣の前で初めて、“俺”と言った

そして、

いつもの声色じゃない

低く、だけど優しい声だった

「それはどういう…」

瑠衣が言いかけた時、膝の上にあった瑠衣の手に、楓の手が重なった

「…瑠衣が心配だった。

今日お昼過ぎくらいから瑠衣たちのフロアに用事があってずっと居たけど…

明らかに、瑠衣の様子がおかしかったから」

急患で運ばれてきた患者さん達の容態を確認するため、他のオペ科のドクターたちと瑠衣がいるフロアに来た楓

その時の楓の視界に映った瑠衣は

まるで何かに怯えているようで…まともに患者さんのケアが出来るような状態では無かった

「瑠衣、お前ずっと震えてたろ

…何があったの」

「…っ、……」

「…」

ぽつり、ぽつりと

瑠衣なりに、楓に今日あった事を話した

「…」

瑠衣が話し終わると、楓はその間ずっと瑠衣の手の上に乗せていた自分の手を離す

…やっぱり、引かれちゃったよね。

医療者として、私情を持ち込んで仕事が出来ないなんて…話にならない

「…あたし、やっぱ看護師向いてない、かも」

苦笑いしながらも、ここから逃げ出したい一心だった

幻滅されたかも、と再び涙目になる瑠衣

そんな瑠衣を抱きしめたのは、楓だった

「…大変だったな、おつかれさん。

話してくれて、ありがとう」

そう言って、もう何も言わなくていいからと、瑠衣を優しく抱きしめた

「…っ、ふぇっ…っく…!」

嗚咽を漏らす瑠衣は、子供のように泣きじゃくった



ひとしきり泣いたあと。

ようやく落ち着いた瑠衣はハッと我に返る

「…っあ、ご、ごめん…楓くんだって忙しいのに…」

申し訳なさでいっぱいになる瑠衣の頭を優しく撫でる

「だーかーら。
俺が心配で勝手に呼んだんだから、気にしないでいいって」

ふふっと愛しいものを見るような瞳でそう笑う楓

「…そういえば楓くん、“僕”って言わなくなったね?」

あぁ…と瑠衣から視線を外したが
くしゃっと笑う

「…いいカッコしたかったんだ。
瑠衣やみんなの前では」

照れくさそうにいう楓が愛おしかった

「…それで、これからどうする?
瑠衣ご飯まだでしょ?」

「そうだなぁ…明日休みだし、家で大人しくしていようかな」

スマホでスケジュールを確認しながら瑠衣が呟く

「…ならさ。俺ん家、来る?」

「……え?」

二人の間に、しばらくの沈黙が流れた

「…っあ!いや!別に変な意味じゃなくて!!

…えーと…昨日姉貴から色々送られてきてさ、もし瑠衣さえ良ければメシくらいなら作ろうかなっていうか…」

楓が慌てるのが珍しく、ぽかんとする瑠衣

「…楓くん、料理出来るの?」

そして意外な一面に驚く

「ばっ…一人暮らしで自炊出来なきゃだめだろ

まぁ、英治は例外だけど…」

学生時代の悲惨だった調理実習を思い出す

「一条先生は料理、出来ないんだ?」

可笑しそうに笑うと楓も笑いながらため息をつく

「あいつはだめだな〜

でもまあ今は神崎ちゃん居るし、大丈夫だろ」

「千尋、料理得意分野だもんね」

車を走らせながら、会話は続く

「瑠衣は…料理出来んの?」

「人並みには大体、って感じかなぁ…

あ、でもお菓子作りの方があたしは得意かも!」

「え、瑠衣お菓子作れんの?

…ちなみにチーズケーキとかは?」

ばっちり!と親指を嬉しそうに瑠衣が立てると楓のテンションが上がる

「マジ?!俺めっちゃ好きなんだわチーズケーキ!」

「そうなの?
じゃあ…仕事が一段落ついたら作ってあげるよ」

待ってましたと言わんばかりにガッツポーズで嬉しそうな楓

「じゃあ今日は瑠衣の好きな物、作ってやるよ

何が食べた…」

楓が言いかけた時、瑠衣のスマホに着信が入る

「あ、ちょっとごめんね。…もしもし」

『あ、瑠衣!ごめん邪魔しちゃって。
いま大丈夫?』

相手は千尋だった

「全然!どうしたの?」

『実はいま家に英治来てるんだけど…瑠衣たちご飯もう食べた?
まだなら一緒にどうかなって思ったんだけど…』

隣の楓に伝えると、スピーカーにするよう言われて操作する

「あ、神崎ちゃん?俺、楓。
今から瑠衣俺ん家連れて行ってご飯作ろうと思ってたんだよ〜」

『あ、そうなの?!ごめん!
じゃあまた誘うね!』

「今度予定立ててみんなでたこパでもしような〜
それじゃ。」

…電話越しでも分かる

千尋、絶対にやにやしてた。

少し恥ずかしくなりながら切られたスマホの画面を見つめる瑠衣

「…神崎ちゃんたちも一緒の方が良かった?」

「ううん!大丈夫だよ!」

前を向いたままの楓の頬が、少し紅潮していたように見えたのは気の所為だろうか

「…英治たちも久しぶりに会ったんだろうし、邪魔しちゃ悪いかなって」

「そ、そうだよね」

「…まぁ、こっちも二人で居たかっただけなんだけど」

「?…なんか言った?」

思わず本音が出てしまった楓はしまった!と口元を覆う

「い…いやいや!気にしないで?

あ、ちなみに何食べたい?俺基本何でも作れるけど…」

「そうだなぁ…楓くんの得意料理って何?」

「俺の得意料理?

うーん…あ、パエリアとかどう?材料ありそうだし」

「そんなの作れるの!すごい…
それじゃあ、任せようかな」

窓の外はすっかり日が沈み、街灯の明かりが辺りを照らす

わくわくと楽しそうに外の景色を眺める瑠衣の隣で、顔を真っ赤にして運転している楓がいた

「…無心、無心」

そう小さく唱えながらも、高鳴る鼓動はなかなか静まってくれなかった