第十二話 心に決めた、一つの光

「え、瑠衣が来てない?」

その日の夕方四時半頃

英治と千尋は楓のもとを訪れ、意外な言葉に驚く

「瑠衣?今日は来てないけど…」

「ねぇ、英治…」

「…あぁ」

千尋が不安げな表情を浮かべる

「…楓、皆川を探しに行くぞ」

「瑠衣を?」

英治の言葉に、只事では無いことを察する

「瑠衣はいつ僕のところに来る予定だったの?」

「ええと…あたし達と話してたのがお昼の二時過ぎで、その後すぐ向かってたはずなの」

「二時過ぎ…二時間以上経ってるのに、おかしいな」

楓は口元を手で覆うようにして考え込む

「…っ、大変です!山本先生!!」

唐突に、オペ科の看護師が走ってきた

「…急患なら深山先生に任せてるはずなんだけど」

機嫌が悪そうに、振り向かずに言う楓

「お話中、本当にすみません!
急患とかそういうのじゃないんです!」

「…ど、どうしたんですか?」

恐る恐る千尋が問いかける

「じ、実は…

先程、上の階の病棟から悲鳴が聞こえて。
慌てて駆けて行ったらエレベーターの前に松葉杖が投げ出されてて」

「…松葉杖?」

英治が眉をひそめる

「はい…しかもそれ、片付けようと持ち上げたらまだ温かくて」

「えと…何で悲鳴は聞こえたんですか?
松葉杖落ちてたくらいじゃ悲鳴までは上げないんじゃ…」

千尋が聞くと、看護師は顔を真っ青にして叫んだ

「その松葉杖の近くに、血痕があったんです!」

「け、血痕?!」

千尋が咄嗟に英治にしがみつく

「はい…それもエレベーターの方から屋上に続く階段の方にそれは続いてて…

怖くて誰を呼んだらいいのか分からなくて…!!」

泣きながら訴える看護師

話を聞き終わると、真っ先に動いたのは楓だった

「ちょ、楓?!」

「英治、俺ちょっと行ってくる!!

もし…考えたくはないけど!
もしもそれが瑠衣に関係してるなら、瑠衣が危ない!!!!」

一目散に階段を駆け上がり、楓はすぐに見えなくなった

「…千尋、俺たちも行くぞ」

「う、うん!」

「悪いけどきみ、警察に連絡頼めるか」

「わ、わかりました!」

それぞれが動き出し、行動を始めた


「…んん…っ…ん…?」

夕焼けに染まる大空の下、生ぬるい風に吹かれる

「あれ…私いつの間に屋上なんて…」

薄く目を開けた瑠衣

「…?」

しかし、どうにも身体が起こせない

「…あれ……?」

今度はしっかりと目を開け、周りを見渡す

「…っ、!!!!」

気がつけば手足を縄のようなもので縛られ、隣には郁也が下を向いて座っていた

「……やっと、気づいた?」

怪しい笑みを浮かべる郁也

ゾッとした瑠衣は咄嗟に逃げようとする

「…無駄だよ、瑠衣。
もうすぐ迎えが来るから…それまで待ってなよ」

スマホをいじり、瑠衣の方を一切見ない郁也

「…あんた、私をどうするつもり」

瑠衣の中で怒りがこみ上げてくる

せっかく、二人が背中を押してくれたのに

やっと、やっと楓くんへの気持ちに素直になれたのに…

どうしていつも、こうなるの!

怒りと悔しさで、とめどない涙が溢れてくる

「…あれ、泣いてるの?

…泣いた瑠衣も可愛いね」

この人、狂ってる…!!

諦めきれず、何とか起き上がろうとする瑠衣

「…だから、無駄だっつってんだろ!!」

声を荒らげた郁也はダンッ!!と立ち上がり、瑠衣の身体を蹴った

「いっ…!!」

「言うことが聞けない悪い子には…お仕置きが必要だよなぁ?

…お前はもう、“俺の物”なんだから」

瑠衣の身体をコンクリートのフロアに叩きつけ、ナース服に手をかける

「や…っ、やめて…お願いやめて!!」

どんなに泣き叫んでも、郁也の手は止まらない

「…お前はもう自由にしてやれない。

俺だけの物、俺だけの瑠衣…!!」

郁也の目には、もう瑠衣以外に映っていなかった

「お願い…郁也……!」

か細い声で、必死に抵抗する瑠衣

「…っ、……」

楓くん…!!

もうだめだと瑠衣が覚悟を決めた


ーその時だった



ーーーーーバンッッッ!!!!



「瑠衣!!!!!」

「…!!」

「お前…瑠衣に何してんだよ!!」

バキッ!!と音がするほど強く入った楓の拳

「ぐっ…!」


「か…楓くん!!」

「…これ着とけ」

自分の来ていた白衣を瑠衣に投げ、郁也の前に立つ楓

楓の後ろから、英治と千尋も到着する

「…お前、もう瑠衣に手を出すなって俺言ったよな?

何してくれてんの」

楓の声が、今までに聞いたこともないほど低く…その怒りが周りにしっかりと伝わる

「…ぱっと出のお前に何がわかる!
瑠衣は俺の物だ!お前の出る幕なんてどこにも無い!!」

口の端を切ったのか、口元から血を流す郁也

その目は鋭く、今にも襲いかかりそうだった

「瑠衣がお前のだ?

…それに、瑠衣は物じゃねぇ」

ゆっくりと、郁也の方へと歩みを進める

「瑠衣は、“俺の”だ」

言葉の直後、素早い蹴りが郁也にヒット

「…っ、…!!」

「…俺さぁ、昔からすっげー周りにごちゃごちゃ言われすぎて。

性格ひねくれてるんだよね〜ほんとうにっ!!」

怒りをぶつけるかのように、倒れ込む郁也の胸ぐらを掴んで顔を殴る楓

「お前みたいに平和ぼけして…傷ついたヤツの気持ちなんか分かんないくせに…

お前なんか…お前なんか…っ!!」

「楓!もうやめろ!!」

「楓くん!!」

英治と千尋が叫び、英治が止めに入る

「…俺に触んじゃねぇ!!!!」

ガッと英治を押しのけ、離した郁也の胸ぐらを再び掴み上げる

「…お前、瑠衣にどれだけの傷つけたのか分かってんの?」

怒り狂った楓が再び郁也に殴りかかろうとした時


「ーーもうやめて!!」


楓の後ろから、瑠衣が抱きしめた

「…なに、言ってんの?

瑠衣を散々傷付けたんだよ、こいつ
何で…瑠衣が止めに入る必要…」

言いかけた楓は瑠衣に向き直る

「…っ、…!!」

瑠衣は、泣いていた

「もう、いいから…」

強く、強く楓を抱きしめた

「…」

スル…と楓の手から郁也が離れる

「っ…げほっ…かは…っ!!」

「…」

楓は、小さく震える瑠衣を見下ろす

「…帰ろう?」

精一杯笑う瑠衣は、泣いていた

「る…」

ー…バン!!

丁度そのタイミングで、ぞろぞろと屋上に人が入ってくる

「ー…牧野郁也を本日午後五時現在、暴行容疑で現行犯逮捕する!!」

警察らしき人物が六人ほど屋上に現れる

そしてその後ろから、先程の看護師と美里が姿を現す

「…お前、裏切ったな!!」

郁也が美里に向かって怒鳴り散らす

「…あら、私一度もあなたに協力するだなんて言ってないわ

それに、あなたこれ以上罪を重ねていいの?このままいくと恐喝罪まで重なるけど?」

美里が昔、千尋に見せた良くない顔をして笑みを浮かべる

「終わりよ、牧野郁也」

真っ直ぐに郁也を見抜いた美里

しばらくして、一緒に来たあの看護師と共に踵を返した

「…いつか必ず、瑠衣を…!」

「お前、まだそんな事言ってんの?」

「!!」

履いつくばるように瑠衣に手を伸ばす郁也

しかし目の前に現れたのは英治だった

「いい加減しつこすぎるよ、お前」

にこにこと口元は笑っているが…

目が完全にキレている

「皆川には皆川の人生がある
…それはあんたも同じことだ」

「…何が言いたい」

「全部が全部、あんたの思い通りにはならないってこと!

…楓がまたブチ切れないうちにさっさとお巡りさんに連れて行ってもらいな」

ほら、と郁也の身体を起こして警察に預ける

「…」

「それじゃ、部外者には早々に退室して頂きたい」

英治がニコッと笑うとそそくさとみんなその場をあとにする


「…」


英治と千尋、楓と瑠衣…

四人の間に、沈黙が流れる

「…瑠衣、大丈夫?平気?」

千尋が瑠衣の元へと駆け寄り、目には涙を浮かべていた

「私は大丈夫だよ。…それより、」

言いかけた瑠衣が楓の方を向き直る

「…英治くん、千尋。

せっかく来てもらって申し訳ないんだけど…少し、楓くんと二人にしてもらえないかな」

瑠衣の言葉に英治と千尋は頷き、重たいドアの向こうへと去った

「…楓くん」

「…」

楓は瑠衣に背を向けたまま、動かない

「…私ね、楓くんが来てくれて本当に嬉しかった。
私を物扱いせずに…ちゃんと、私として見てくれたこと、嬉しかった」

目に涙をいっぱいに溜め、少しずつ話す瑠衣

「でも、もう大丈夫!私は一人でも…」

「…っ、ふざけんな!!!!」

突然の叫びにビクッとなる

「お前な、いい加減誰かに頼ったり甘えるってことをしろよ!
なに、そこまで自分壊してどうすんの?楽しい?」

今まで背中越しだった楓が振り返って瑠衣の肩を掴む

その表情は、とても悲しげだった

「俺は…瑠衣に頼ってほしいよ

何か俺、必要とされてないみたいで…」

唇を噛み締め、辛そうに俯く

「…瑠衣が、初めてなんだ

“僕”じゃない、“俺”を受け入れてくれる人なんて、絶対いないって思ってた」

だけど

「瑠衣は違った。

どんな俺を見ても、一人の“山本楓”として、話しかけてくれる」

「楓、くん…」

「…俺、英治や周りのみんなに比べたらほんと頼りないし、これといって大した取り柄もない」

ギュッと手に力をこめる

「…だけど瑠衣。お前を思う気持ちだけは、誰にも負けない

それだけが、俺の取り柄だ」

顔を赤く染め、はっきりと告げる


「瑠衣、お前が好きだ」


ドーーーン…!


楓の言葉と同時に、夜空に花火が上がる

「…っ、?!!」

「はな、び…?」

夏祭りは明日のはずじゃ…

楓と瑠衣が空を見上げていると

〜♪

「こんな時に誰…って、」

楓が慌てて電話に出る

「…深山さん?!これは一体…」

「ふふっ、驚いたでしょう?

…知り合いに頼まれてね、あなたの幼馴染みに」

「英治が…?」

あいつ、こんな事するようなやつだっけ…

呆気に取られる楓がふと、瑠衣の方に視線を移す

「…!」

先程までの泣き顔が嘘のように、目の前に次々上がる花火に照らされる瑠衣の表情は

今まで見たことないほど、キラキラとしていた

「る…」

「楓くんっ、すごいすごい!
ここからだと花火がこんな近くに感じるんだね!」

思わず楓の手を取った瑠衣は依然、とても楽しそうだった

「…ねぇ、瑠衣」

「ん?なに??」

「…」

「…楓くん?」

はあぁ…と手で目元を覆う楓

「…俺さっきがっつり告白したのに、返事もくれないわけ?」

花火に照らされる楓の顔は

赤く、赤く染まっていた

「…っ、!」

ゴクリ、と息を呑む瑠衣

「…っ、わた…わたし、は…、!」

楓の方を、真っ直ぐに見据える

「…私も、楓くんが好きだよ」

今にも消え入りそうな声で、そう言った

「…瑠衣、」

それまで真っ直ぐに瑠衣を見ていた楓

しかしバッと下を向いたかと思えばまた顔を上げ

瑠衣を強く、抱きしめた

「…俺、すっげー嬉しいんだけど」

そのまま優しく、瑠衣を押し倒す

「…この前の続き、いい?」

「…帰ってからね?」

顔を見合わせて笑い合う二人

いくつもの花火が打ち上がる中、屋上で結ばれた二人は唇を重ねた