第十一話 過去の影は動き出す

「おっはようございまーす!」

まだまだ暑さが続く八月後半

院内では、明日に控えた夏祭りの準備で大忙しだった

「まさか近くの夏祭りにうちの病院からも出店するなんてね〜」

「あれ、千尋知らなかったの?
結構有名な話よ。…ちなみに射的らしい!」

わくわくした表情の瑠衣

今日は一段と楽しそうな瑠衣を見て、千尋も嬉しくなる

「射的か〜あれ、結構難しいよねぇ」

「英治くんとか、得意そうじゃない?
頼んでみたらいいじゃん♪」

「英治出来るかな〜」

久しぶりのデートのような気分で千尋も舞い上がる

「…それで?瑠衣は勿論、楓くんとまわるんでしょ?」

にやにやしながらトンっと瑠衣を小突く

「…」

…あれ?

頬を赤らめて、慌てて否定する楓を予想していた

…はずだった

「え…瑠衣?どうしたの」

何やら困っているような、迷っているような

そんな表情をしていた

「…っ、ううん!なんでもない!

そう…なるといいな」

先程まで楽しそうにしていた瑠衣に、少し影が見えた気がした


「千尋っ」

休憩時間、院内にあるカフェスペースのお気に入りの特等席に千尋はいた

「英治!休憩時間被るなんて、久しぶりじゃない?」

「だろ?」

嬉しそうに千尋の向かい側に腰掛ける

「…それで?
何か考え事してたみたいだけど、どしたの」

千尋の頬を撫でながら英治が言う

「あー…考え事、っていうか…」

「楓と皆川のこと、だろ?」

一発で当てられる

「…瑠衣、誕生日パーティした後からなんだか楓くんを避けてる気がして。

やっぱり、どこか思う所があるのかな」

はぁ…と机に突っ伏す千尋

何を言うでもなく英治が千尋の頭を撫でる

「…そろそろ、話した方が良さそうだな」

「…え?」

「前に俺が言ってた事だよ

楓の昔話」

「…その時がきたってこと?」

英治が静かに頷く

千尋はムクっと起き上がるとスマホを取り出す

「…瑠衣、呼んだ方がいい?」

「そうだな…あぁ、居た方が良い」

「じゃあちょっと呼ぶね」

千尋が連絡し、ほどなくして瑠衣がやって来た

「英治くんから私に話があるって珍しいわね

どうしたの?千尋の扱い方に困った?」

茶目っ気たっぷりに言う瑠衣

だが、やはりどこか様子がおかしい

「それはまた今度にでも相談しようかな。

…今日は別件なんだ」

「と、言うと?」

「…楓の昔話、そろそろしようと思ってさ」

「…楓くん、の……」

明らかに、瑠衣の顔色が変わる

「あぁ、聞きたくなければ良いんだ。

ただ、“本当の意味”で楓の事を理解出来るのは…皆川しかいないと思ってな」

不安げな表情を浮かべたあと、決心したように瑠衣が口を開く

「…聞く」

膝の上の拳にギュッ、と力を入れて、まっすぐ目の前の英治を見つめる

「…瑠衣、大丈夫。あたしも聞いてるし、隣にいるから」

瑠衣の小さく震える手に自分の手を重ね、優しく微笑む千尋

「千尋…」

「それじゃあ少し長くなるが…まあ聞いてくれ」


俺と楓は

同じ日に生まれ、同じ病院で生を受けた

父親同士がとても仲が良く、日が暮れるまで毎日一緒に遊んでいた

『英治くん!僕と遊ぼうよ!』

『英治くん、またテストでひゃくてん?!すごいなぁ!』

『英治はほんと飽きないなぁ』

『英治、英治!』

毎日、毎日本当によく笑うやつだった

だけど

そのうちいつからか、その笑顔の裏に影が見え隠れするようになった

『英治、僕…何で生きてるんだろう』

高校二年の冬

突然、楓はそんな事を口にした

『不公平だよね。

生きていくべき人が死んじゃって、使えない僕みたいな人間が生き残って…

ほんと、神様何考えてるんだろう』

長い前髪で目元は隠れていたが…

一筋の涙が流れたのを、今でも鮮明に覚えている

「あの時、後からその理由を知ったんだが…

楓のお袋さんと姉ちゃんが、いっぺんに亡くなったんだ」

「「…っ、……!!」」

「…交通事故だったらしい。

楓のお袋さんは女医、姉ちゃんは保育士の学校行ってて。

二人共、将来的にかなり有望視されてたんだ」

普通なら、楓も悪くない成績ではあるものの…

二人と比べて、少し劣ると周りから言われることもあったという

「まだ夢が見つからない、って言ってた楓は結局夢が見つからないまま二人一緒に亡くして。

そしたらあいつも医者になるって、俺と同じ科にきたんだ」

「そう、だったんだ…」

放心状態の瑠衣

千尋が優しく背中をさする

「…楓はあれから死にものぐるいで勉強して。
やっとの思いで医者になった」

しかし、運命は楓の前に何度も立ちはだかった


『親父が?!』

息を切らして父親が運ばれた病院に駆けつけると…

『……!!!!』

たくさんの機械に繋がれて、今にも消えてしまいそうな彼の姿を

楓は見ていられず、トイレに走ってもどしてしまった

『はぁっ…はぁ…』

なんで…

『はぁっ…はぁっ…はぁ…』

どうして…

『はぁっ…っ、くそっ…!』

どうして、俺たちばっかり…!!

何とか一命を取り留めたものの、楓の父親は脳に後遺症を残し、それまでの事を全て忘れてしまった


『…行ってきます』

ほどなくして退院した父親は施設に預けられ、四人家族が住んでいた家は楓一人になった

『…』

楓が出勤中、信号待ちをしていると

『あ、あの子山本さんのところの…』

『山本さん、気の毒よねぇ…』

『…呪われてるんじゃない?』

ひそひそと遠目から噂する周りの視線やその言葉が

楓を今でも、苦しめていた

『…言いたい事があるなら、“俺”に直接言えっての』

ボソッと呟いた楓の言葉は誰にも聞こえるはずもなく…

『楓っ、おはよう』

『おはよ〜英治っ』

誰にも言えず、今日もまたポーカーフェイスでにっこりと笑う


「…楓に“俺”が出来たのはその頃だろうな
今まで我慢してきた自分が最近、無意識に出てきてるんだろう」

「それだけ、楓くんが追い詰められてるって事…?」

「…恐らく、そうだろうな」

英治の答えは、聞きたくなかった

あれだけ笑いかけてくれていた楓が、

あれだけ周りに気を使い、大事にしてきてくれた楓が…

まさか、そんな思いをしていたなんて

「わた…私…楓くんのこと、何にも…わかってあげられてなかった…っ!」

瑠衣が嗚咽を漏らしながら涙する

どうして相談してくれないったのだろう?

どうして誰にも言えなかったのだろう?

「…どうしてかって?」

心の奥を見透かしたように、英治が口にする

「その答えは、お前が一番よく分かるんじゃ無いのか」

…答え?

「千尋や俺は、困った事があったり不安な事があればすぐに誰かに助けを求めたり、相談をする

…だけどお前ら二人はどうだ?
二人共、どこか気を使って言わないだろう」

その時、はっとした

「もう、分かるよな?」

英治がくすっと笑うと

「…っ、英治くん、私…っ、!」

ガタン!と大きな音を立てて席を立つ

「私、行ってくる!!」

目の色が変わった瑠衣は、生き生きしていた

「「……頑張れ!」」

英治と千尋が拳を瑠衣の方へと真っ直ぐ突き出す

それに押されるように、瑠衣は駆け出した


「…っ、はぁ…はぁ…」

エレベーターの前まで走ってきた瑠衣

「早く…早く…っ!」

ようやく降りてきたエレベーターの扉が開く

「…よしっ!」

心を決めて、すぐにエレベーターに乗る

「ええと…階は…」

顔を上げ、ボタンを押そうとした

…その時、

「…!」

「…瑠衣」

「なん…で…」

「…瑠衣に用事があってさ」

後ろから強く誰かに抱きしめられる

「…」

すぐに誰だか分かった

「郁也…!」

瑠衣は、彼の香水の匂いを覚えていた

「…瑠衣、まだ俺のところに帰ってくる気は無い?」

瑠衣の首筋に自分の唇を添わせ、弱々しく言う郁也

「…どうあっても、もう二度とあんたのところには帰らないわ」

何とか平常心を保とうと、瑠衣はいっぱいいっぱい

「…そうかよ」

カチャ、と後ろで音がした

「…でも俺は、諦めない」

瞬間、

「ーーーーっ、?!!!」

ビリッ!!と瑠衣の首元から全身に電流が走る

「…お前は一生、俺だけのものだ」

倒れ込む瑠衣を右手で抱える

郁也の左手には、スタンガン

「…あんな生意気な医者なんて、すぐに忘れさせてやるよ」

二人を乗せたエレベーターは最上階手前の階まで上り…

瑠衣を肩に担いだ郁也は松葉杖をエレベーターの外に投げ出し

ゆっくりと、屋上への階段を上った