第一話 Another Story

初夏を過ぎ、夏の暑さを感じるようになった六月
少し湿ったような空気にうんざりしながらも、いつものように車を走らせる

「もうすぐ梅雨も明けるだろうし、暑くなるね」

ハンドルを握りながら彼女は呟く

「ほんと…紫外線が気になって嫌になる」

助手席の彼女は少し不機嫌そうだった

〜♪

そんな他愛のない会話をしていた二人の間で、着信が鳴った

「あ、もしもし?」

助手席に座っていた千尋が電話に出る

『あ、神崎ちゃん?おはよ〜
いま瑠衣は一緒?忙しい?』

電話の主は、楓くんだった

「いま瑠衣は運転中だよ〜
…あ、スピーカーにしようか?」

『頼むよ〜』

楓くんの申し出もあり、スマホをスピーカーに設定する

『あーあー。…瑠衣、聞こえる?』

突然の思わぬ声に、驚きを隠せない瑠衣

「か、かかか楓くん?!」

「ちょ、瑠衣!前見て前!危ない!」

赤信号に変わった交差点を目の前に慌ててブレーキを踏む

「…ったく、動揺しすぎ」

「だ、だって…!」

隣の千尋が呆れながらスマホに問いかける

「それで?楓くんは休日の朝から何の用?
私たち今日非番だから出かけようと思ってたんだけど…」

『え、そうなの?
実は今日人手が足りなくて困ってて…』

「今日は土曜日だし、あんまり人いないよねぇ…

どうする?千尋」

どうする?と言った割にはもう既に楓の元へと行きたそうな顔をする瑠衣

なんて分かりやすい…

「…瑠衣が良いならこのまま直行してもいいわよ」

千尋の言葉に目を輝かせる瑠衣

「楓くん!二人でお助けに行くよー!」

嬉しそうに言う瑠衣は気付いてないだろうけど…

その顔は、緩みまくっていた

『ほんと?!二人とも来てくれるの?!
休みの日にごめんよ〜!
今度、美味しいご飯屋さんに連れてくから!約束!』

プツン、と千尋が電話を切っても瑠衣は余韻に浸っていた

「約束、か…」

にやにやと頬を緩ませる瑠衣

「うわぁ…気持ち悪い」

「ちょ、千尋さん?!」

引いた表情を見せた千尋だったがすぐに戻り、瑠衣に言う

「幸い、何かあったとき用に二人とも準備してきて良かったわ

…今から向かうわよ」

「了解っ!」

来た道をUターンし、目的の病院へと向かった

この物語のヒロインは彼女、皆川瑠衣(みなかわ るい)。

助手席に座っている神崎千尋(かんざき ちひろ)とは高校生からの仲で、同じ病院に勤務する同僚でもある

先ほど千尋に電話をかけてきたのはこれまた同僚のオペ科ドクター、山本楓(やまもと かえで)。
瑠衣の良い理解者であり、ふわふわとした好青年だった

「そう言えば千尋、英治先生とは上手くいってるの?
この間楓くんが気にしてたんだけど…」

瑠衣が英治先生、というのは一条英治(いちじょう えいじ)。
小児科のドクターで楓と千尋とは幼馴染み

そして今では、千尋の彼氏でもある

「んー…まあ、普通?」

「普通ってなによぉ
何か進展とかあったりしたんじゃないの〜?」

にやにやしながら煽る瑠衣だったが案外サラッと受け流す千尋

「進展する前にほとんど会えてないわよ
最近英治も私もすっかり忙しくなっちゃって、連絡も全然取れてないし」

あらら…思ったより大変そう

「そっかぁ…やっぱ寂しい?」

遠くに目的地が見え始めた頃、瑠衣が問いかける

「そりゃあ…寂しくない、って言ったら嘘になるけど…」

本当は、会いたい。

想いを伝えあった日から数ヶ月

あれからお互いすっかり仕事が忙しくなってしまい、同じ院内にいるのにほとんど会うことも無かった

「…小児科に行けば会えるだろうけど…」

千尋のいる病棟(フロア)は英治の階と違うため、用事でも無い限り会えないようなものだった

「会いに行けばいいのに」

「仕事放ったらかして会いに行けるわけないでしょっ」

簡単に言わないでよ!と頬を膨らませる千尋

「そうだよねぇ…あたしも、楓くんにあんまり会えてないし」

連絡こそ度々取れているものの、実際に直接会ったのはいつが最後だろう?

そう考えると、瑠衣も少し寂しい気持ちになった

「ー…さて、それじゃあ行きますか」

病院の看板には大きく“城東第一病院”と書かれており、地元では割と有名なこの病院は人もそれなりに多かった

「お疲れさまです〜」

「あら、二人とも!今日は非番じゃなかったかしら?」

私たち二人を迎えてくれたのは先輩看護師である秋田さんだった

「オペ科の山本ドクターに人手が足りないって頼まれて。

…非番出勤です」

「まあまあ…ごめんなさいね、何しろ今日だけで急患が結構な数入っちゃって」

申し訳なさそうに言う秋田さんだが仕事は仕事だ

来たからにはしっかりとしなければ

「それじゃあ私たち、着替えてきますね」

更衣室へと向かった二人はドアを開けた時、見知った顔に出くわした

「!…千尋ちゃん!」

千尋を見て嬉しそうにしたのは美里だった

「美里ちゃんも今日、非番じゃなかった?」

「あぁ、何かどっかで事故があったらしくて。
急患がすごい事になってるから来てくれって連絡があったの

千尋ちゃん達も?」

「そうなの。…それじゃ、また後でね」

美里と別れ、瑠衣と更衣室へと入る

「…やっぱりあの女、どうも好きになれない」

ボソッと瑠衣が呟く

「あんた、あんな事があったのによくあの女と仲良く出来るね?

…あたしなら、一生ガン無視決め込むわ」

「まあまあ…」

怒り気味の瑠衣

怒るのも無理はないだろう。

瑠衣は学生時代、美里に悪気があったわけでは無いだろうが成り行きで当時付き合っていた彼氏を取られてしまった

それ以降、瑠衣はずっと美里を憎んでいた

千尋とも、一度事件があったのだが…

みんなの活躍により事は丸く収まり、今では前以上に仲良くなることが出来た

水上美里(みずかみ みさと)。
彼女は千尋と同じフロアで働く看護師だが隣町から来ており数ヶ月経った今、だいぶこの町に慣れたらしい

そして何より彼女はとてもルックスがいい為とにかくモテる

なので女の千尋でも、たまに見とれてしまうことがあった

「…千尋」

「んー?」

「…頑張ろうね」

「うん!」

負けたくない、と言うようにバッとナース服に身を包んだ瑠衣

「先行くね。…私は絶対、負けない」

「…あんまりバチバチ火花散らさないでね」

それだけ告げると、瑠衣は更衣室を後にした


「やぁ、瑠衣!ほんとに来てくれたんだね!」

患者さんのケアにまわっていた最中、偶然巡回していた楓に遭遇した

「いやぁ参ったよ〜…
ここから少し離れたところにある商業施設で玉突き事故があったらしくて。

お陰で人が少なくてラッキー!だなんて思ってたのにてんやわんやだよ」

しゅん…とうなだれる楓を見ながら、久しぶりに見るその顔に安堵する瑠衣

「…でも、元気そうで何よりだわ」

「…瑠衣もね」

微笑み合ったのもつかの間、楓は別の看護師に呼ばれ、巡回していた事を思い出す

「それじゃあ瑠衣、頑張って!」

ひらひらと手を振ると、小走りで呼ばれた方へと駆けて行った

「……」

久しぶりに会った楓は、いつもの柔軟剤の匂いを残して去っていった