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六階建てのアパートの屋上に立って、僕は十メートルは優に離れたアスファルトの地面を見下ろしていた。


空は生憎の曇り空。時刻は午後五時を十分程回ったところ。六月も半ばを超えた今は、日没までまだ時間はあるはずだが、曇り空が太陽をすっぽりと隠してしまっている。下手に天気がいいよりはいい、と思いながら、僕は屋上を囲うフェンスに手を掛けた。


管理会社はフェンスではなく柵を立てた方がいい。フェンスは足場ができるから、そんなに頑張らなくても登れてしまう。柵だと足場がないから、きっとそこで諦める人だって出てくるだろう。


登れてしまった僕には、もう関係のないことではあるけれど。


僕がここから飛び降りたら、ここのフェンスも高くなったり、それこそ柵の方がいいと誰かが気付いて柵に変わったりするのだろうか。そもそも立ち入りが禁止されるか────今だって禁止されていることに変わりはないのだが、抜け道はどこにでもあるものだ。


一歩、足を外に投げ出そうとして、気付く。そういえば、遺書というものの存在を忘れていた。


日記すら書いていない僕がここで何も残さずに飛び降りたら大騒ぎになってしまうだろう。否、残していたとしても騒ぎにはなるか。昨今話題になりやすい高校生の飛び降り自殺だ。マスコミはこぞって学校や友達、家族に飛びついてくるだろう。


僕自身の問題でこうしている僕にとって、それは望ましいことではなかった。


誰も、何も悪くはないのだ。いじめがあったわけでもない、虐待があったわけでもない。いじめられていた、という方が正しいのだが、今いじめられているわけではないし、むしろ友好的な関係を築けている方だとは、思う。過去のいじめが関係ないとはいえないものの、かといって彼らがそれを覚えているとはとても思えない。


いつだって、やられた方だけが覚えているものだ。彼らに覚えていろ、と思う方が逆に自分自身が辛いものとなる。それを僕は嫌というほど実感していて、嗚呼だからこそ、こういう道を選んでしまったのかもしれないけれど。


まあ、今更そんなことを考えていても仕方がないだろう。スマホを取り出してメモのアプリを開く。と、その前にパスワードも解除して、開いてすぐに見られるようにしておくべきか。