好きな人が現れても……

課長は無言でビールを飲んだ。
何も語るつもりはないのか…と、少し悔しい思いを感じた。


「……妻が」


ボソッとそう言うと、私の方に目を向け、亡くなった妻が弾いていた…と教えてくれた。


「音楽教室の講師をしてたんだ。その関係でね」


私の知らない人の過去を明かし、その後また無言になった。
ぎゅっと胸が潰れそうな気がして、グラスを持ったまま、そうですか…と呟いた。


「…でも、これも売ろうかと思う」


幾分感情のこもった声に目を向け、パチパチと瞬き鵜を繰り返した。


「どうして?」


奥さんとの思い出が詰まってるようなのに何故?

私はポカンとした顔で彼のことを見つめた。


「千恵が手紙に書いてたんだ。折角鳴る楽器を使えないようにしないで欲しい…と。
売っても自分の思い出がなくなる訳じゃないし、他の誰かが弾くことで、その思い出も色褪せずに残る…って。

それならその希望には沿おうかと思う。
実際、どうしたらいいのか俺には楽器のことはさっぱり謎だった訳だし」


呆れるような言葉を発し、ゴクンゴクン…とビールを飲み干す。
その動く喉元を見つめ、胸がきゅっと軋んだ。