「…何食べてんの?」
「ん、瀬戸内レモン味の期間限定ポテトチップス」
「じゃなくて、掃除中なんですが」
「いーだろ…どうせお前だってまともに掃除なんてしてないんだし」
ぎくりと肩を竦ませた未月は、秋空を拭うように、まだ白いところが目立つ雑巾で窓を丁寧に拭いた。
濡れた布が、窓を通して見る透き通った高い空に水滴をつけているように見えて、未月は目を細めて息をついた。
「…そんなこと、ないよ」
嘘。
本当はあまり集中できていない。というか、ほとんど掃除なんて忘れていて、いつの間にか同じ場所を何度も何度も拭いていた。
背中の向こうから、小さなメロディが聞こえる。
「次は、文法だっけ」
「英会話だろ」
「あ、そっか…」
他愛のない会話に安堵する。でもそれに悟られたくなくて、未月はがむしゃらにごしごしと窓枠をこすりはじめた。
だんだんと汚れが取れていく。
その代わりのように、白かった雑巾に染みが広がるように汚れがついていき、やがて未月の持っていた場所以外が真っ黒になった。
窓枠というのは、やはりかなり汚れている。
「あ、ちょっと…ポテチ食べた手でピアノ弾くのはやめなよ!」
「うっせーな…その手じゃねえよ。反対の手だ」
なんだ。よかった。
美しい旋律に耳を傾け、散っていく色とりどりの葉を見つめる。
舞うように地面へと降り立っていく枯れ葉の様子を延々と眺めるだけ。BGMはあいつのピアノ。
まあ、こんな日も悪くないかな、と思う。
掃除が進まないにしても。
くるくると葉が踊る。
赤?黄色?明確にそうとも言えない、"秋"が集まってきたような色。空気の中の秋の色ぜんぶ、葉が吸い取っていったような。
だから空気には色がないのだ、とちょっとばかみたいなことを考えてみた。
こういうの、哲学的なんて言うのかな。いや、こんなのは言わないか。ただの妄想。
でも、嬉しい想像。
でしょ?
綺麗な想像ほど、楽しいものはないんだもの。
「そろそろ先生くるんじゃない?」
「そうだな…」
そう言いながらも、気配しかわからないがきっと食べる手を止めてはいない。
「ばれちゃうよ?」
「ばれないよ」
ふっ、と笑ったような雰囲気が悔しかったので、未月は窓を拭く手を止めて、ぐいっと後ろに振り返った。
「………っ、な……」
「私が言ったらおしまいでしょうがっ」
ピアノから、やっと私に目が移る。
そのままよ。
私を、見て。
「…別に。掃除中に食ってたくらいで、何もねーよ」
美しい旋律が、止まった。
言葉とは裏腹に、私の目を見れないようだ。
「そうかもね。でもそうじゃないわよ。そんなこと言ってるんじゃない。わかるでしょ?」
私の言いたいこと。
わかるはず。
「お前は、…言わないだろ…」
「どうして?」
「…どうしてって」
ちゃんと言ってもらわないと、わからないから。
音楽室特有の変な匂いがつんと鼻をさす。
沈黙が重さを伴って落ちてくる前に、男子は口を開いた。
「言わないったら、言わないんだよ」
「…なにそれ」
腹が立つ。
うじうじして、この頃の天気のように湿ったい。
未月は腕組みをすると、口を開きかけて、不意に萎んだように目を伏せた。
「そっか」
口を引き結ぶと、未月は雑巾を握りしめて音楽室を出ていこうとした。
「待っ……」
はためくカーテンで見えなくなった未月に向かって、男子は叫んだ。
ポテトチップスの袋が床を転がっていく。
「お前が、俺と一緒にいる時間を終わらせると、思いたくないから…!」
吐き出した本音に、振り返った未月は吹き出した。
「もうっ…もうっ、自意識過剰!」
「っ…うるさいな…」
そっぽを向いた男子に、未月はくすくすと笑う。
「恥ずかしいことカミングアウトしちゃったね」
「お前が言えって…」
むくれる男子を横目で笑った未月は、遮って指さした。
「あ、袋転がってるよ!」
「え?ああ…」
「ごみになるでしょ、さっさと捨ててきてってばー」
未月がおかしそうに言うと、男子は首を竦める。
「期間限定なんでしょ?私も買いに行こうかなー!」
「おう。やっぱ、この酸味がいいよな。」
それは、恋も同じらしい。
ピアノの音が静かに止まる。自分が食べたわけでもないのに、爽やかでちょっと酸っぱい香りがして、とらわれて。
「食べて、いい?」
「…いいよ」
そっと唇を近づけた。
本当だ。
恋のような、レモンの匂いがする。
レモンのような、恋の匂いかもしれない。
どちらにしろ、秋空なんてもう、視界に入らなかった。
「ん、瀬戸内レモン味の期間限定ポテトチップス」
「じゃなくて、掃除中なんですが」
「いーだろ…どうせお前だってまともに掃除なんてしてないんだし」
ぎくりと肩を竦ませた未月は、秋空を拭うように、まだ白いところが目立つ雑巾で窓を丁寧に拭いた。
濡れた布が、窓を通して見る透き通った高い空に水滴をつけているように見えて、未月は目を細めて息をついた。
「…そんなこと、ないよ」
嘘。
本当はあまり集中できていない。というか、ほとんど掃除なんて忘れていて、いつの間にか同じ場所を何度も何度も拭いていた。
背中の向こうから、小さなメロディが聞こえる。
「次は、文法だっけ」
「英会話だろ」
「あ、そっか…」
他愛のない会話に安堵する。でもそれに悟られたくなくて、未月はがむしゃらにごしごしと窓枠をこすりはじめた。
だんだんと汚れが取れていく。
その代わりのように、白かった雑巾に染みが広がるように汚れがついていき、やがて未月の持っていた場所以外が真っ黒になった。
窓枠というのは、やはりかなり汚れている。
「あ、ちょっと…ポテチ食べた手でピアノ弾くのはやめなよ!」
「うっせーな…その手じゃねえよ。反対の手だ」
なんだ。よかった。
美しい旋律に耳を傾け、散っていく色とりどりの葉を見つめる。
舞うように地面へと降り立っていく枯れ葉の様子を延々と眺めるだけ。BGMはあいつのピアノ。
まあ、こんな日も悪くないかな、と思う。
掃除が進まないにしても。
くるくると葉が踊る。
赤?黄色?明確にそうとも言えない、"秋"が集まってきたような色。空気の中の秋の色ぜんぶ、葉が吸い取っていったような。
だから空気には色がないのだ、とちょっとばかみたいなことを考えてみた。
こういうの、哲学的なんて言うのかな。いや、こんなのは言わないか。ただの妄想。
でも、嬉しい想像。
でしょ?
綺麗な想像ほど、楽しいものはないんだもの。
「そろそろ先生くるんじゃない?」
「そうだな…」
そう言いながらも、気配しかわからないがきっと食べる手を止めてはいない。
「ばれちゃうよ?」
「ばれないよ」
ふっ、と笑ったような雰囲気が悔しかったので、未月は窓を拭く手を止めて、ぐいっと後ろに振り返った。
「………っ、な……」
「私が言ったらおしまいでしょうがっ」
ピアノから、やっと私に目が移る。
そのままよ。
私を、見て。
「…別に。掃除中に食ってたくらいで、何もねーよ」
美しい旋律が、止まった。
言葉とは裏腹に、私の目を見れないようだ。
「そうかもね。でもそうじゃないわよ。そんなこと言ってるんじゃない。わかるでしょ?」
私の言いたいこと。
わかるはず。
「お前は、…言わないだろ…」
「どうして?」
「…どうしてって」
ちゃんと言ってもらわないと、わからないから。
音楽室特有の変な匂いがつんと鼻をさす。
沈黙が重さを伴って落ちてくる前に、男子は口を開いた。
「言わないったら、言わないんだよ」
「…なにそれ」
腹が立つ。
うじうじして、この頃の天気のように湿ったい。
未月は腕組みをすると、口を開きかけて、不意に萎んだように目を伏せた。
「そっか」
口を引き結ぶと、未月は雑巾を握りしめて音楽室を出ていこうとした。
「待っ……」
はためくカーテンで見えなくなった未月に向かって、男子は叫んだ。
ポテトチップスの袋が床を転がっていく。
「お前が、俺と一緒にいる時間を終わらせると、思いたくないから…!」
吐き出した本音に、振り返った未月は吹き出した。
「もうっ…もうっ、自意識過剰!」
「っ…うるさいな…」
そっぽを向いた男子に、未月はくすくすと笑う。
「恥ずかしいことカミングアウトしちゃったね」
「お前が言えって…」
むくれる男子を横目で笑った未月は、遮って指さした。
「あ、袋転がってるよ!」
「え?ああ…」
「ごみになるでしょ、さっさと捨ててきてってばー」
未月がおかしそうに言うと、男子は首を竦める。
「期間限定なんでしょ?私も買いに行こうかなー!」
「おう。やっぱ、この酸味がいいよな。」
それは、恋も同じらしい。
ピアノの音が静かに止まる。自分が食べたわけでもないのに、爽やかでちょっと酸っぱい香りがして、とらわれて。
「食べて、いい?」
「…いいよ」
そっと唇を近づけた。
本当だ。
恋のような、レモンの匂いがする。
レモンのような、恋の匂いかもしれない。
どちらにしろ、秋空なんてもう、視界に入らなかった。