「え…………….」


先輩の背中が中央棟の昇降口に消えた後も、私はその場に呆然と立ち尽くしていた。


右手にぎゅっと力を入れてみると、そこには確かに自分のものではない傘の持ち手があった。


松本先輩が、私に、これを貸してくれた─────?


私のために─────?


状況を飲み込むまでに、少し時間がかかった。


雨がぱらぱらと、私の上に降り注ぐ。


落ちてきた雨粒は、私の頭を避けて傘の骨を伝い、足元へ落ちていく。


濡れた靴の中の足の指先が、ほんの少し冷たい。


けれど、先輩がさっきまで持っていた傘に触れる右手は、ほんの少し温かいような気がした。


これ、次の部活の時まで、持ってていいの─────?


私は松本先輩の、びしょ濡れになりながら走る背中を思い出す。


私に傘を託したために、自分の身を濡らして。


まるで、自分を犠牲にしてまで、何かを守ろうとしているみたいだった─────


傘を持つ右手から、温かいものが全身に伝わっていく気がした。


──────なんて、優しい人なんだろう。


たった一人の、ただの後輩のために、こんなことができてしまうなんて。


「優しい人」はたくさんいるけれど、松本先輩の優しさは、それとは比べ物にならない、特別なものなんだと、胸の奥で感じた。


心に明かりが灯るように、温かい気持ちになる。


こんな気持ちになるのは、今まで初めてだ。


全身をそっと温かく照らしてくれるこの気持ちを、一体何と呼べばいいのだろう。


そう思いながら、傘を差したまま、西棟の昇降口へと向かう。