「それじゃ広野さん、今まで一緒にいられて本当に楽しかった!今日はありがとう!」

「こちらこそ、ありがとうございます!」


挨拶を交わした後、音楽室のドアへと歩いていく松本先輩の背中を見て、ふいに私の胸に何かが込み上げてきた。


────行かないでください。


そう言いたくなる衝動に駆られ、一度はぐっと堪えたものの、思わず声が出てしまう。


「あ、あのっ、先輩っ」


「ん?どうしたの?」


振り返った松本先輩と目が合って初めて、何も話すことなど用意していなかったことに気が付いた。


必死で私は聞きたいことを考える。


「あっ、あの、先輩は、どこの高校に行こうと思ってますか」


咄嗟にそう聞くと、先輩は「僕は東神高校を受ける予定だよ」と言った。


「東神高校!?すごい!先輩、頭良いんですね!」


そう言うと先輩は照れくさそうに笑ってみせた。


────東神高校は県立の高校で、県内ではトップクラスの進学校だ。


この学校で頭の良い人は、まず東神高校を目指すのがお決まりとなっている。


「頑張ってくださいね!それでは!」


私たちが挨拶を交わすと、松本先輩はそのまま音楽室を出ていった。


最後に話すことができた嬉しさのせいか、胸の辺りがなんだか暖かい。


私は先輩の背中を、見えなくなるまでずっと、見送り続けていた。