「おはようございます」

「おはよう、晴香ちゃん。今日もよろしく頼むよ」

「はいっ」


私の威勢の良い返事にマスターがにっこりと笑う。

エプロンを着け、ほうきを手に取り、店内を掃除して回る。

これから会社帰りの人が沢山来て賑わうから、しっかりきれいにしなければならない。

手に力を入れてゴミひとつたりとも見逃さないように入念に履き掃除をしていると、マスターが私を呼んだ。

 
「そういやあ、さっき来る時、ひょろっとした若い男に会わなかったかい?青のテーシャツに革ジャンの」


私は首をひねる。


そんな人、居たっけ?

なんか居たような居なかったような…


「そっか、それならそれで良いんじゃが…」

自分の言いたいことはわりとバシッと言うのに、今日のマスターはまるで別人のように歯切れが悪い。

何かあったのだろうか?

聞こうとしたけれどぐっと言葉を飲み込んだ。

人には聞かれたくないこともある。
そっとしておこう。

そう思った。


「そうじゃ、そうじゃ、新作を作ろうと思ってのお。晴香ちゃんに試飲してもらいたいんじゃった」

「はい、喜んで」


こうして頼りにされる時、ここにいて良いんだって心から思える。
ここが私の居場所だって、そう思える。
信じられる。

マスターが淹れたコーヒーは微かに桜の香りがした。




春はここにも訪れようとしている。