しかし。

新島の周囲には、岸島に関すると推測される事跡がある。

まず新島の没後、妻である八重は従軍看護婦となったのち茶道の師範となっているが、明治の末期に梅野屋で茶会を開いている。

当時、祇園町で女性が茶会を開くなどというのはかなりのレアなケースで、この茶会はかなり話題となった。

この茶会の参加者の一人に原田まさ、つまりかつてのおまさと、岸島がそろばんを教えたおしげが名を連ねており、奉公人での参加はあり得にくいことから、関係者として参加したのではないかとされる。